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2024/10/06(Sun) 13:09:25

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おまえめがしんでる


 いきなりですけどわたしが人と、ことに二次創作仲間のかたがたとうまいことやれないのって、嫉妬のせいなんじゃないかなと思うんですよねー。みなさんにはマジ申し訳ないっす。小田桐ジャンルにいるときは特にだな。いや、みなさんのこと嫌いとかじゃないっすよ、ただ嫉妬がなー……無視するのはイヤなんでいつも通り膿ゲロゲロで汚くてすみませんです(爽やかに)ほんと自分でもヤなんですよ嫉妬ってなんの役に立つのかまるでわかんないし。こんなに百害あって一利無いものってほかにあるかってほどわからん。
 誰に嫉妬してんのかということを挙げていくと、まず作中のキャラに盛大に嫉妬するだろ、おだちひに半狂乱になりながらドMっていたのもいまだ記憶に新しいし別にそれは千尋にばっかじゃないんだよ……。そして小田桐を好きな人すべてに嫉妬だ、パねぇ、小田桐はP3をプレイした人それぞれの小田桐がいるってわかっているのにこの嫉妬だ、マジなんやねん。
 で、何に嫉妬してるかと考えてみると、まあ嫉妬というより無力感なんだな、自分ができてないことをやってる人を見ると平常心でいられなくなるってだけの話なんだが、それを向上心にできねーのかなっていう。

 観月にはこういうのなくてさ。観月には、自分はある意味で世界で一番奴をわかるし書けるって自負があるし、だいたい違わない評価をされることもできる、だからそのプライドのままに人と接することができる。
 でも小田桐にはそうは思えないし、もしわたしが世界一小田桐をわかってるというお墨付きがあったとしたって、それは虚しいだけだろうなーと思う。たぶんそれはわたしが小田桐を(限りなく自分と似ているのに)自分だと思ってないっていうことで、それ自体はいいことなんだろうけど、だったら潔くすべてを受け止めたらええねん、ガタガタ抜かしなや!!てなるわけでな

 結局は自分落ち着けの一言につきるわけですが、ほんと、小田桐に対して分をな、わきまえることができん。自分にできることがあって、その中には自分にしかできんことがあって、自分にできんことを他人ができてっていうのは自然ないいことで、全部ほしがっても何がどうなるわけでないし、小田桐にまつわる自分じゃない全部のことを、わたしはひっくるめて愛するべきなんと……思うけどな……、まあ苦しいもんは苦しいと甘んじて受けますわ。こういうくだらないことを苦しく思えるってのはいいことだ。不恰好でもわたしが小田桐を好きだってことのあかしには違いないからな……。

 本当は最初にも最後にもなることなく風のように在りたいと思うけども、嫉妬が許されるとしたら、ヴェルタースオリジナルな関係にならなくていい、ただヴェルタースオリジナルな存在になりたい。その人を信じていることを思えば世界のぜんぶを信じられるような。執着と向き合った上で、許すかたちで解き放たれたいな。忘れて眠るんじゃなくて、本当に世界はそれでいいと引き受けてそこからはじめたい。小田桐がそうしたように。



「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません」~新約聖書 ヨハネの手紙
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2010/06/20(Sun) 20:12:45
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