忍者ブログ
現在サイト死亡中。復活めざして
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2024/10/06(Sun) 15:32:14

090130.gif


























 魂のコミューン


 ピクシブ既出絵。ちなみにコレ元サイズで元拡張子だとちゃんとキレイに発色するんだぜ……。タイトルはペルソナ3C(コミュニティ)と読みます。そんなものは出ません。十分コミュニティでした原作からして。
 この絵は要するにコミュキャラでペルソナ4みたいなことしたらきっと楽しいんだぜ、おまえの影をかかないか、ということです。もれなくみんなシャドウ目です。であるにもかかわらず自然すぎる小田桐。シャドウのほうがイキイキしてるってホントだよ!
 セルの色は基本的にそれぞれのアルカナの仮面の色に準拠します。偶然に小田桐を紫のところに描いていたのでちょうどいいと思って(千尋の正義の仮面は白ですが正義といえばオレンジだろ?)。ただベベは13番以降なのでシャドウ存在せず余ったとこに配置した。全く死神以降のコミュキャラはやや冷遇されているよな!

 コミュキャラもペルソナ4も大好きだからこそやるので、キャラの影の解釈はこまやかにやりたいと思ってます。だからこんなハンパなところから描きはじめているのです。千尋から描きました。千尋の影はアレだよ、不純異性交遊氏ね、とか、俺の正義を力でブッ込んでしまいたい、という分別のなさです。ところでベベのコミュってどういう話だっけ?留学生ということ以外で何がどう節制なんだっけ?
 小田桐は上述のとおりいつもの悪役顔をイキイキさせたかのようになってますが、別にいつもをパワーアップさせたわけじゃないです。小田桐の影は「搦め手から支配しちまえばいいじゃない、それが力!」だと思います。
 今更ながら体育教師との関係(言い方自重)は象徴的だったのですねー。あれは小田桐の「道理を守る力は人のつながり」という結論をメッチャ悪いほうに見た場合なわけです。それが「搦め手から(以下略)」というシャドウ。自分の納得のいく「俺の正義」世界を作るため(正確には自分を打ちのめした世界を否定するため)の力を得るためには少々ヒキョいようなこともする、その過程で俺の正義がぬるい手垢で汚されることもあろう、だがそれが世界というもの(なんという暁生)、というのが逆位置っていたときの小田桐です。
 小田桐の無意識が叫び、そしてわたしが嬉しく受け取ったメッセージは、ひとりで生きられない、ということです。ひとりで生きられない。ひとりは怖いから、自分の世界のもとに庇護し支配したい。誰かにそばにいてほしい。自分の心や力は間違っていないのだと認めて受け入れて、共犯者にでもいい、なってほしい。
 そういうことにシャドウ的過激化を加えると「ひとりでがんばるとか寂しいし無駄じゃん」とか「支配したすべてを僕のものとして規定して虐げたい」とか「あの体育教師もっと誘惑する方向で行こう(ちょ)」とかになるわけです。そりゃ小田桐は半狂乱で否定するわな!あれ……小田桐ってP4だったらペルソナ使えんじゃね……?

 小田桐コミュを考えているとつくづく思うのですが、小田桐はさりげなくP3のことの本質にけっこう近いやっているんですよね。
 これは今気付いたことですが、P4の皇帝コミュと対比して印象的だった部分である「小田桐は主人公と向き合って(対話して)成長してる」ってことは実はP4との対比とかじゃなく小田桐の特徴なんじゃないかな。P3のコミュもやっぱり「そばにいて成長を見守る」タイプのものが多い気がするんですよ、友近とか。
 共通して大事なことは「見守っててくれる、話聞いてくれる人がいるからがんばれる」ってことなんです。それは小田桐にしたって同じなのですが、彼の場合「主人公くんに」「話をする」ことが中心的な成長要因になってる。
 他の人には大前提としてある「いっしょにいる」ということが、小田桐においては前提である以上にテーマなのです。そしてなんでそれを小田桐には「対話」なんて言うかっていうと、P3主人公くんがストーリーのデフォルトとして持っている受容性と無意識的な性質は、まさしく皇帝とこそ交流すべきものだからです。こっちが何も言葉を発しなくても皇帝とは対話が成立するような性質だからです。
 小田桐に個人的イベント(日曜デート、おさんぽ)がマジ全くなかったのは、そのへんもう十分、というような意味もあるんじゃないかとも思います。

 まあこのへんは、いくらかのひいき目というかわたしが小田桐を特別に掘り下げているゆえのリンクとかもあるのでしょうが、逆に父性的テーマを持ったP4の主人公さんとマーガレットさんの女帝コミュもまた「対話」の色を強く帯び、非常に特別だったと思うのですよ。
 そもそも人間関係において皇帝と女帝のアルカナってのはすごく重要な関りを持ってて、今更ながら小田桐がアルカナ4であることに感謝感謝ですね。扱いが妙とか気になりません。ペルソナ4のバトルメンバー総コミュ化は素晴らしい待ってましたなシステムですが、ペルソナ3でそれをやられていたら小田桐は存在しなかったので、ア○ラス様にお礼を申し上げるしかありません。

 ありがとうございますごめんなさいアト○ス、ゲームとしては絶対にバトルメンバーは一部コミュ化よりオールオアナッシング(そしてどちらかといえばオール)のほうがいいのに、そうならなかったことを感謝してごめんなさい、わたしは悪いゲームファンだー!本当はゲーム全体の出来が至上目標で、キャラ萌えはスペックのひとつでしかないはずなのに、一人のキャラに執着してシステムの微妙さを見ないふりだなんて!
 でも真田コミュをやらないで小田桐を生み出してくれてありがとうございます、彼のことを一生愛し尊敬することを誓います。(結婚すんな)


 まじめにこういう同人ゲームを作ってしまいそうなのですが、その場合多分メンバーもこんな感じになるのだと思います。これプラス新キャラで。
 なぜならこの人たちはコミュMAX後も主人公と表層的にも関係を結ぶ予定でいて(逆に言うとその予定だからこそ壁を打破できて)、そしてそういう位置にいるからこそ「主人公がこの世に不在であることを知ってしまった」人たちだからです。
 そういう意味でこの人たちの主人公とのコミュはまた新たに物語を始めたのだと思います。応えてくれる相手の不在とかつてあった記憶をとどめて。
(ベベはどうなんだか微妙です。あまり内容を覚えてません。ぶっちゃけ人数あわせでした)
(じさばさ、いさ子は大人組だからナシ。解釈的にはいさ子バリバリ入るべきなんだが、そこは新キャラで補完)
 でもなぁ、もし本当に作るんだとしても需要がなぁ。そしてペルソナシリーズは戦闘エフェクトあっての燃えるゲームなんじゃないのか?カッ!トインだけじゃどうもね……。あきらめてファミコン的戦闘で我慢しますか?

PR
2009/02/10(Tue) 00:34:51
この記事にコメントする
NAME
TITLE
MAIL
URL
MESSAGE
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com