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2024/10/07(Mon) 12:23:37
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  'Cause a prize beyond my reach.

 P3Pネタバレ


 見ての通りだよ!!!!!(自棄) 2周目で(ここ強調)小田桐に告られるイベントを見てしまって死にそうになりました。
 結論から言えば、わたしはたとえ自分が女であろうとも小田桐とまごうかたなき親友でこのコミュをMAXしたいと思ったので正直このイベントとは無関係なのですが、一応見ました。とキッパリ言いたいところなのだが奴はこのイベントのフラグを叩き折っても最終的に思わせぶりなことを言ってきやがる……(怒)女とは親友になれないってェのかいい度胸だ(バキバキ)
 まさかこんだけ言っといて最終的な思わせぶり(前に君に言ったセリフは僕にとってあのとき考えてた以上に意味があったんだよ、自分でも気付いてなかったけど、的なこと言われた)が同じってこたなかろうと思うので一応2周目もEDまで見たいと思います。もし同じだったらしつこい、しつこいのに自己完結、悪い意味でずるい、おまえはおれか、でもずるいのが人間なので小田桐がずるいのはうれしい(完結)
 ちなみに2周めは天田様の生脚に顔を擦り付けて死にたいと思う。
(児ポ班くる)

 しかし実際のところどうなんでしょうねこれは……。上記のようにこのイベント自体はわたしにはほぼ関係ないのですが、結局なんか思わせぶりなこと言われてしまったわけですし、しかも二次創作上の常識としてはこのイベントはおさえられる、というサブ事情も考慮するわけだろ。
 というのも「この二人」が今後どうなるのかってことですよ。
 P3は死の疑似体験ゲーであり、その主題・目的としては「死に触れる」「よく触れることで死とうまくつきあえるようになる」っていうことで、要するにプレイヤーにユーフォリアをさせるゲームなんですよ。と江戸川先生の授業でうまい言い方を思いつきました、というわけでコミュEDイベントというのはユーフォリアの感動演出をして「よい」死へのタッチをしてもらうためのものなんですが、でも感動だからといって感動だけを大事にしてもしょうがないんだよな。死にネタの感動っつうのは、「ああ死んでしまうんだな……もう会えないんだな……」という感動だけで終わってしまっては単なる勝ち逃げワッショイで、ホントはもうひとつ「死んでもいい満足」と「生きていく気概」を両立させてこその真の死にネタだと思うんすよ。
 具体的には何が言いたいかというとわたしたちは小田桐の言う「いつか」や「もう一度」について、たとえそのときが来ないにしても、来ないということに「安心」せずに真剣にアタフタしたり覚悟を決めたりしなければならない、そうじゃなければ彼を愛して生きることができたとはいえない、ということなのです。もちろん「play(仮想)」は大事ですから、来ないという「安心」にくつろぐことによって彼の言葉の輝かしさをかみしめることはすばらしいんですけど、それだけじゃね。わたしはP3Pをアトラスの言うとおり「RPG(役割をplayするゲーム)の決定版」として全力で「遊」ぼうとおもってるから。

 今までにもいろいろ説明してきましたが、わたしの描く「彼らのその後」というのはその、来ないことに安心しない、自分が生きていく気概、みたいなものなのかなーと、女主人公編をやって得られました。本当に小田桐は莫大なことを学ばせてくれるなぁ。
 うみねこに「抗えばミステリー、屈せばファンタジー」みたいなこと書いてありましたけど、P3は「観ればミステリー、生きればファンタジー」なのかなと思いました、ファンタジーの使い方かなり違いますけど。ファンタジーっていうのは、仮想、うそごとの世界に「身を投じて遊ぶ」、ということね。P3のシナリオはストーリーとしても十分だから「観る」価値もあるし、そしてアトラスのゲームのゲームらしくすばらしいところとして「生きる」こともできる。
 ゲームを「遊ぶ」、ゲームに「遊ぶ」ということの価値は、そのことを「自分で体験する」ことができるというところにあります。「生きている」。世界を自分の目で、自分の体で「わかる」「そう感じる」という納得は、「真剣な仮想」だから――つまりは「仮面をつけている」からこそ、如実に得られる価値ある体験なんだと思ってます。仮面が真実を誘発し、表情豊かにふるまうために仮面をつける、「遊ぶ」ということはそういう価値と最近授業で考えています。


  淡く 気高く 清く あなたの胸で
  そっと微笑み続ける花になって
(天野月子/Love Dealer)
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2009/12/13(Sun) 03:43:24
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 ひっ・・・さしぶりでございます。マリモです。何をしていたかと問われれば、小田桐祭、としか答えられないのだった。(なのにユカミツ!?)
 P3の絵ログと野分後野分の4、あとリンクページに一件ご案内しました。リンク先は夢もやってらっしゃるSS中心サイト様なんですけども、夢といえばP3Pで女主人公やっても女主人公で文章とか書けるんですかね(そして読めるんですかね)わたし。怖くて呆然とするんですけど。

 まあ今日から実家に帰ってこのP3熱を冷ませるところまで冷ましたうえでプレイに入りたいです。しかしわたし本当に女主人公からはじめる気なの?マジで?うそだろ?だって名前決めてないぜ・・・せっかくだから本名に限りなく近くしたいところなんだけど母ちゃんに見られるのが恥ずかしすぎて憤死だ。
 あと岩崎リオさんのような運動のできそうな子に「室橋さん」という文字列を表示されたらそれだけで「マジおまえ足手まといですゴーホーム」という意味を汲み取ってしまいそうだ(※マリモ運動とても苦手)  ただ小田桐に苗字で呼ばれるのは既に経験があるかのように普通である(※マリモ生徒会活動すき)からして、なんかもう本名を入れようかと思う 一文字変えるとかして
 ただプレイ記に自分の本名が頻出することは(わたし以外の人たちが)避けたいところだと思うのでなにかしらのあだな的なものをつけたいと思います。なんだろう、前向きな響きでいくとユーキャン?(それは中村さんのことです)
2009/10/29(Thu) 05:17:36
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 ちょっとドロンしていてすみませんです。
 ということで、おさそいが遅くなってしまいましたがまた無謀を繰り返すよ!!あの無謀にまた会えるよ!
 例によってうちの茶室でおこないます。絵を描く描かないは問いませんよ!



 中山可穂の『卒塔婆小町』を読みながら主小田主長編を書いています。モチーフである能楽の卒塔婆小町とは関係ない方向なのですが、恋愛関係の不可能性からくる「愛を告白して叶えるまでの期間」が描かれているという意味で共通性があるなと思ってのことです。
 「愛を告白して叶えるまでの期間」が長々書かれているものがわたしは好きです。それは自然な物語だと思います。愛の告白と、その愛が双方実ることの間には、途方もなく深い河がある。それを無視せず、断念せず、橋を工事することこそ、深い絆だと思っています。

 長編の小田桐とハルも滑稽で哀愁感じるほどに噛み合わない。それは本人たちもよくわかってる。でも小田桐はあえて難しい橋の工事がんばろうぜと言うし、ハルは諦めとかごまかしとかに逃げようとしてもできない。それって馬鹿だけどいい話なんじゃないかなと思います。
2009/09/26(Sat) 02:22:03
 小田桐絵チャあけたよ!!!

 よろしければメニューからいける絵チャ室へどうぞ。
 ドキドキしすぎて腹壊した
2009/09/05(Sat) 20:55:31

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 みんなー!マリモ、ニコニコの名前(佑己・ヨーザイ)でついにこの難曲を歌っちまったよー!!


 まあそれはニコニコのことなので、ところでこいつを見てくれ↓
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 この暴挙をどう思う?(すごく……孤独です……)

 今週の土曜(5日)の夜9時から小田桐中心絵チャします。内容の規制はとりあえずナシ、絵を描く描かないも不問。うちの茶室で行います。P3Pの話題もOKなので、よろしければおいでくださいネ。
 小田桐好きさんがシャイなことなんか知ってる!知ってるんだから!

2009/09/03(Thu) 03:49:05
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