主小田主でウテナ企画、ついにここまで来た。というかこれ(ディオス抜剣)がウテナで一番メジャーなシーンだと思ってるので今まではずいぶん自重したなと自分では感じています。メジャーだけどアレなシーンだから……ね……。
トレース元は劇場版の西園寺戦より。抜剣シーンはいくつか違うパターンがあるのですが、小田桐は体かたいほうだと思っているので、あまりアクロバティックなプレイ(違う)はできんな、ということで正常位(違う)でヤ(違う)ってみました。自分的にはエロさひかえめだけどわたしのエロの尺度はレベルというかフィールド的に人からズレているのでむしろ控えないほうがより大丈夫だった可能性もある。しかしそれすらわからない。
個人的には黒薔薇編の脇キャラによる主要キャラレイプ(違う)シーンもやってみたい気持ちでいっぱいですが象徴的になんかちがう+一枚の絵にできないため書けずにいます。草時に仕立て上げられた黒薔薇のデュエリストたちは実はみんな『ファリックではない』(≒男ではない)キャラたちなんだよね。『剣』は『(おもに)よい意味でのファリックさ』≒『気高さ』であるので、ファリックではない黒薔薇のデュエリストたちはそれを持ってる相手から無理矢理に引き抜くしかない。
つわぶきは男の子ですがまだゴニョゴニョなので。つわぶきの告解シーンのコメで『そういう時はオナニーして寝ろ』という解釈的にすごい的確その通りでございますなアドバイスが多数あったのですがちょっと待ってつわぶきはまだだから!まだだからこそのこの苛立ちね!めちゃくちゃにしてやりたい!え、そういう話だよねあの回って!?
茎子による冬芽レイプ(違う)はすごい好きシーンです。しかしあのシーンは確かにレイプを想起させながら、実態としては『ファリックではないもの』による『ファリックなもの』の蹂躙(というほどでもないか)という新しすぎる構図だったわけですな。『剣』を『突き立てる』のではなく、『剣』を『引き抜く』ことによる蹂躙。男性性対女性性、というよりは『(ときに男性性のように見える)気高きもの』と『それを持たぬもの(向かうもの)』との対立。いや~これは新しい!つっても10年前のアニメですが。しかし新しい。
ということでウテナ劇場版・アドゥレセンス黙示録見ました。
コメではわけわからんと言われまくっていましたがそうでもないよ?むしろ本編よりも比喩表現が直線的でわかりやすかった。いい意味で。ただ本編をしっかり見て解釈してから見ないとわけわからんかもしれないね。パラレルワールドの話ですが、もともと少女の内面世界の象徴を描いた作品なので象徴が同じなら同じ話になる、あれはある意味でちゃんと続編になっていたわけですから。
表層的解釈の問題としてアニメでは友情ぽかったウテナとアンシーの関係が映画だと見事百合になってるとさかんに言われていたので恐る恐る見てたのですが、これもまたそうでもないよ?まあ表現としては百合っぽいことになっていたかもしれないですけど、あのキスは恋のキスじゃなくてアンシー的側面とウテナ的側面が融合するというキスだったんだってば。わたしなんかはそういう感覚と恋をさらに融合させたようなのが好きではありますが、それにしたって落胆するほど百合というわけじゃないよね。
あとミッチーの演技も巷で言われているほど悪くなかった、というか良かった。わたしは十郎太ボイスのあきおが嫌いだからな…。まああきおは『墜ちた王子』だから大人(になれない大人)の気持ち悪さ出してナンボなのですが、ミッチーのあきおはちゃんと王子様なのだなとわかるしスマートにキモいのであれはあれですごくOKだと思いました。生々しい気持ち悪さではなく退廃的な気持ち悪さ。まさしく『生きながら死んでいればいいんだよ』。
ミッチーをあきおに起用したのは彼が『時代の王子様』だったからで、個人というより象徴の問題なんだよね。ということはもし今10年後の約束記念でウテナの劇場版をまたやるとしたら今度は光一くんあたりか?ちょうど獣王星で声優もやったわけだし。
あ、関係ないけど主小田主ウテナの『剣』のそれぞれの力は、ウテナのストーリーに即して言えば、初期の『気高き城の薔薇よ』で抜剣するディオスの剣はウテナで言えば『王子様の力』のところを『ユニバースの力』(笑うところでもある)で、中盤の『気高き想いの薔薇よ』の剣はウテナで言えばアンシーの気高さのちょっと混じってきた王子様の力のところを主人公くんの以下略、後期のウテナから抜く剣はウテナと同じでふたりの絆と心の気高さそのもの、でいいんじゃないでしょうか。
『ウテナ様ーーー!!』『姫宮ーーー!!』のきらりん剣強化も描いてみたい気もする。あれならアクロバティックなことしてんのはアンシーのほうだけだ……いける……。
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