忍者ブログ
現在サイト死亡中。復活めざして
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2024/10/06(Sun) 19:34:50
0712102.jpg


























 「ぶっ壊してよ。」

 髪上げるとやっぱりどっかあやときに似てしまう。


 その後の体調にさえ影響しなきゃ雨にずぶ濡れになるのって気持ちのいいもんですよね。吐くのとか、泣くのとか、同じような感じがします。冷えて、不快で、苦しくて、なんかこのまま死ぬんじゃないかな、みたいな軽い忘我がある。解放がある。不快感は自分をぶち壊す破壊への不安と焦りであり、それは場合によっては途方もなく甘い。たとえばそれはSM。スプラッタ。スカトロジー。苦行。そして人に惚れるということ。
 小田桐の主人公に対する、ものすごい懐がでかいんだけどガードは死ぬほど固い硬派すぎるスタンスを実感するともう、何をどうしたらいいやらわからなくなります。この自分のままでは通用せぬ美に対して、もうほんと……どうしたら……。小田桐は破壊的。破壊的とわかるのはかつて観月に破壊されたことがあるからだけど。
 わたしの大好きな小田桐書きさんたちの、たやすく堕ちも堕としもしない高貴な自制心と、そうせざるを得ないような小田桐秀利という人の気高さと徳の……、不可侵の美。それをどうにかするということは試みに考えるだけでも焼かれてしまいそうだし、ただの解放ではなく破壊される苦しみにあえぎながらのあゆみだ。こうして思うようにならず自他の軽蔑を感じ胸をかきむしって泣くことも、たぶん唾棄すべきなほど下賎ではないのだろうが、結局わたしがやろうとしていることは硬派への冒涜でもあるなぁと、ハルが感じるのと同じようにわたしも感じています。破壊的で冒涜的だ、わたしが人に惚れるということは。
 小田桐の進むべきではない道に、目隠しして手をひいていこうとするおれがときどき顔を出すのを、容認すべきではないのじゃないか?まあ破壊感の理由は重要じゃないわな、それを思うと平静でいられなくなるということ。

 『風に立つ』ではそういう不快感をばりばり描いていこうと思ってます。基本的に美しくも醜くもないさらさらとしたハルの世界がどぎつい色の想いに乱される不快感、ときにおぞましくさえある矛盾、その先の淡い光。なんかわたしが書こうとしているものは、テーマ性としてはやわらか(?)なストーリーでありながら、方法はいっそSMエログロ活劇なんじゃないかなあと思われてきました。精神的な。
 ハルを書いてみて、簡素で無駄な壁のない世界というのはすごく無垢で剛毅でいとも鮮やかに血を流して、痛々しくて心細いのにそれすら美しいものなんだなーと思います。やっぱりピュアブラとはちょっと違うのな。シニカルだけど悪意なく、どろどろしてるのに澄んでる。余計な意地や殻がなくて、弱くなれる気概がある。悪びれず嘲笑もせず、自分の卑劣を受け入れることができる。
 小田桐のほうでもそれなりのことをやらかすつもりです。ていうか、やばいな……。破壊も冒涜も何ももともとこの話はifのお遊びでしかなかったはずなのに、何してんだわたしは……。この話でいろいろ勉強しすぎだ……。そのぶんマジになってしまっているからこその冒涜なんだ。お遊びに……しとけばいいのに、耐えられない……!(心の句)

 こういう苦行精神とハルのまっさらさが修行僧(煩悩は多め)すぎて般若真経とか登場します。ハルが無達から教わったらしいのを自分の煩悩をおさめるために唱えたりします。正直ギャグシーンです。
 そういうことは他人の価値に足場を求めることじゃないんですけど、小田桐秀利というみんなの気高い器をどういうふうにしてしまっていいやら。わたしはわたしの美を追求すればいいのですけど。わたしの気高さである彼を、ハルといっしょに。
PR
2007/12/22(Sat) 23:41:11
この記事にコメントする
NAME
TITLE
MAIL
URL
MESSAGE
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com