忍者ブログ
現在サイト死亡中。復活めざして
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2024/10/06(Sun) 21:31:38

071210.jpg


























 前日記のペルソナ作り話のつづき。覚醒ペルソナ『リベラトール』の話です。

 リベラトールはローマの豊穣神でありディオニュソスと同一神であるリベル・パテルの別名で、『解放者』としての名です。リベラルとかリバティとかそのへんの言葉ですね。同時に、リベル・パテルにはリベラという男女対の女神がおり、詳しいことは後述しますが『リベラトール』というのはリベルとリベラの融合した名のようにも見えるという解釈をしています。
 ディオニュソス‐リベラトールの性質は前日記で述べたので、今回はペルソナ・リベラトールの造形に大きく関ってくる彼の配偶神についての話を主とします。

 まずリベラトールの対女神『リベラ』。彼女はリベラトールと同じく豊穣神であり、一般にギリシャ神話のペルセポネに対応すると言われています。まずここをおさえておきます。
 次に、ディオニュソスの妻である『アリアドネ』。彼女はギリシャ神話の時点では人間の王女ということになっていますが、地方神話でのもとの姿は豊穣神であり、その場合はローマ神『リベラ』として呼ばれたそうです。つまりリベラとはリベラトールの対でありながら同一であり妻でもある。しかもこれらはみな豊穣神であり少女神(コレー)であり、一本筋が通ってるのです。
 これは少年性と少女性の『結婚』です。

 ここからはおもしろいけど長いので続きへ。


 『結婚』が『解放』であるなんてバーローwwwと思うかもしれませんがこれはあくまでも寓意としての『結婚』ということにしといてくださいよ。しかし実際的な結婚においてもひとつの価値が死にまっさらな新しいものを生み出すという意味では『解放』だろ?そういう広い意味というかメタというか。
 『結婚』というのは、文字通り夫婦になるということだけでなく、錬金術や心理学で言うところの理念として見ると『対立物が対立したまま融合し高次のものになる』ということでもあります。これも一種の死と再生であり、ここでいきなり出てきますが、『少女革命ウテナで起きていること』でもあります。
 さっき『結婚』を死と再生と言ったのは、それが既存の分類や価値の枠つまり自我を一度ぶっ壊して偏りを正し、新しいものとして生まれ直すということだからです。少女革命ウテナでアンシーの世界に起きた革命とはまさにこのような性質のものです。
 アンシーはゆるやかな成長とともに薔薇の花嫁でい続ける自分に偏りを感じ始め、自分を規定する枠である暁生にひそかな疑問や反感を抱くも抑圧し、その抑圧し生きることができなかった自分がウテナという形をとって自分に変化を起こしにやってくる。しかし変化は痛みと不慣れをともなう恐ろしいものですし、偏った自分の反面であるウテナはまぶしくもやはり偏ったものでもあり、アンシーはウテナを恐怖し、軽蔑し、理解に苦しみます。しかし多くの葛藤や体制破壊の暗示を通して、二つのものがお互いに対したまま次第に交流し信じ合っていくことでいつしか古い自我の枠は破壊され、二つは融合しよりよく気高いものへ革命されるのです。『我らは雛だ、卵は世界だ。世界の殻を破壊せよ。』という生徒会のいつもの口上はそういうことを示しているのです。


 アリアドネは『完全に純粋な』というコレー的意味からくる名ですが、彼女はもともとの話では『迷宮の女主人』という名を有したそうです。これは彼女がミノタウロスとともに抜けられぬ迷宮に囚われていたことを言っていますが、どっか心理学的なニュアンスを感じもします。つまりエジプト神話のネフティス(『城の中の女主人』)と同じように、人間の内面領域を、しかも広大な『迷宮』である無意識を領分にしているかのようです。
 彼女は青年テセウスに一目で恋し、魔法の剣と迷宮を踏破するための糸玉を与えてみごとミノタウロスを倒させ救出されます。この後、彼女はアルテミスに罰せられて死んだという説と、テセウスが『アリアドネを連れていると身が危うくなる』との神託を受けてナクソス島に捨てていったのをディオニュソスが妻にしたという説があります。前者の事情はよくわからんのですが、同じくコレーであるアルテミスが男に恋してしまったアリアドネを誅したかのようですね。後者にしてもイアソンを助け妻となったメディアが捨てられたことを彷彿とさせます。もっともこれは物語の原型であるというより、もっと簡単に『世の常』とでも言ってしまったほうがいいのかもしれませんけど。

 で一般的な後者の説で、アリアドネとディオニュソスは結婚するわけですが、この経過もおもしろいですよね。メディアと似たような話と言いましたがアリアドネは(そもそも相手が寝てる間に去ったし)メディアのようにキェーッとかすることもできず、ただ泣き伏せっていたところをディオニュソスに救われます。救われるつうか要は励まされ、慰められ、心を開かされ、愛を告げられてそれに応えたのです。
 さて、何が面白いのかっていうと、確かに陽気ボーイであるディオニュソスがふさいでる女の子の笑顔を誘うってのは自然なことですが、しかし彼は『アリアドネを慰めよう』とし、しかもそれを『妻』にしたのです。永遠の少年はふるまいたいようにふるまい、それが周りに騒動を起こそうともさして頓着しないものであり、さらに女性には『母』を求めるものです。このエピソードには彼の永遠の少年性の変容があります。
 これもウテナと対応させて想像することができます。ディオニュソスの永遠の少年性はトリックスターであるウテナです。ウテナは自分の自由奔放な強さゆえに、人の弱さを理解しません。それが人々のさまざまな苦悩や迷いや悲しみに触れ自分の強さの揺らぎにもつきあたることで偏りを正し、『結婚』=成長へと近付いていくわけです。ディオニュソスはゼウスなどが人間の王女にするようにアリアドネを美しさゆえにさらって妻にしてはいません。永遠の少年は挫折し悲しみに落ちた永遠の少女の弱さに触れ、それを励まし慰めるうちに愛おしみ、ふたりで成長するのです。
 アリアドネのつけていた冠をディオニュソスが天に上げたものが冠座です。なぜだかは諸説ありますが、わたしはディオニュソスのプロポーズが成功したときに、という説が好きです。アリアドネがつけていたクレタの王女としての黄金の冠をディオニュソスは取り去り、今日から君はクレタのお姫様でもなんでもない、僕という神の愛する人なんだ、と放り投げるのです。なんて葛藤の後の成長と歓喜に満ちた、しかし永遠の少年の輝く気高さをも残した行動!ディオニュソスはもう他人を理解せず責任のないお子様ではなく、そしてアリアドネはもう泣いてばかりの哀れなお姫様ではないのです。


 デザインはイアコスの引継ぎをベースとして、お察しの通り婚礼の礼装をモチーフとしています。しかも中性的な。ジャケットでシメつつも、白タキシードとウエディングドレスをあわせたようなシュッとした感じで。仮面のデザインも変わって左だけの反面に。左は少女の面、右は少年の顔という感じで、髪も左側に流してます。左の角のかわりの横ティアラは件の冠座から。
 結婚といえば、ウテナで決闘する人々も礼装をしていますね。しかも生徒会に至っては白です。ここまでなら関係はないようですが、暁生編での決闘には『パートナー』と『ゴンドラ』、『車』なんかが登場し、見るからに結婚を象徴しています。
 経過はどうあれ幹&梢ペアの礼装には感慨深いものがありましたね。双子というわかりやすいモチーフからもわかるように彼らもまた『完全な理性』と『不可解な衝動』というひとつのものの二面性なのですよね。

PR
2007/12/18(Tue) 01:05:31
この記事にコメントする
NAME
TITLE
MAIL
URL
MESSAGE
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com