夢から覚めてもあなたの美しさは枯れない
(前略)それにしてもあまりに小田桐が好きすぎてキモいのでミクシうpしたときはなんの絵ともわからぬあたりで思い切りトリミングしました。
いやー、話せば長いことながら、要するにちょっと前に「もう恋など無理……信じられん……無理……生きられん……」と人生全体に対して最高級の絶望をしていたわけなんですけどね。氏☆に☆た☆い☆と思ったことはあれど、それは絶望じゃなくて逆にのぞみのようなもの(もうしわけなさ、はずかしさ、積極的ないやさ、にくしみ、くやしさ)があるからそうなるのだと思ってます。
思い返してみても虚無虚無していて、別に悲しくもないし苦しくもないし、でも生きている理由が思い起こせない、自分が何者なのか感じられない、でもだからといってマイナスな大事もない、という状態でした。歌もまともに歌えないし。やっぱり歌は魂で歌うものなんだ……と初めて実感しました。
だったのですが、よそさまの小田桐読んでいつもの通りジェラシったら嘘のように生気が湧いてきました。マジ心配とか要らねぇー!!マリモが落ち込んでるときはほっとけばまるでおkーーー!!!
いや、小田桐のことを失念していたわけじゃないんですよ、よそさまのを読むまでは小田桐にもまるで不感になっていたんですが、やっぱり他人のパワーというのはすごいなぁと思います。よそさまの小田主にジェラシり、くっそーうちの小田主はな、というかぶっちゃけわたしが小田桐をどう好きかということはだな、こうでこうでこうだ、あっれー絶望してたはずなのに絵まで描けてたー!?
わたしが移入できずにジェラシる小田主はどういうのかというとたぶん「完結してる感じ」なんだと思います。わたしの中での主人公くんと小田桐のイメージは相性はよくても誤配まんまんというか、うん、要するにわたしはみっともない方面の人間なのでみなさんのカッコよさがまぶしくてハンケチ噛むぜ!
かくして人生稀に見る大絶望から半日でホイホイ立ち直りかけているわけです。いやーよかったよかった。いやホント、ジェラシーから思い出したこととはいえ、そもそもわたしが小田桐に恋することができないにしろ、小田桐が美しいこと、彼を美しいと感じるわたしの感性は別に信じたって全然かまわないものな!
さまざまな事情で、自分が自分の思う恋をするという幸せは、自分の気持ちだけではどうにも叶わないこともあるんではないかと思う。でも、自分が美しいと思うものを尊び愛することの幸せは、この気持ちひとつあれば叶う。少なくとも美しいと思うそのものを知ってさえいるのなら。わたしはそのあたり幸運だから、幸せ。たとえ一生恋ができないとしても、それはそれでアリだと初めて思えたくらいには。
あと他人パワーといえば「もう、ひとりではあきらめることができな」かった観月はじめさんへのもろもろの思い恨みつらみですが、その第三者からのツッコミが思いがけず読んだ本の中にありましたので、もはやあきらめることは可能となりました。不可能から可能になっただけなので実行するかどうかはわかりませんが。
観月が処分不可だったのは彼がわたしにとっての「永遠」の砦だからなので、もし観月に見切りをつけるとしたら、それにともなっていろんなものが処分できますし。あ、べつに観月で書いてるものを放棄する気はなくてチョイチョイ書いてますよ。昔好きで簡単に次々乗り換えた作品やキャラでもずっと好きで書いたりもしますからね。
……そう言うと、わたしがどれだけ観月をキモく重要視しているかもわかるというもの。夢から覚めても、観月からは覚められない。なぜならそれはもう夢ではないからだ。
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