私のピアノは世界を汚す悲しい音を君の耳に触れさせないために
相変わらず細かいものは書けないいい加減ぶり
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ものっそ久し振りに観月夢サイトめぐりなどしてみたのですが、毎回毎回思うのですがわたし他の人の観月夢読むと傷つく!精神的に疲弊して帰ってくる!いつもそこしか行かないお気に入りのサイトさんはそういうことがないからお気に入りなのですよ。
たいていのところは、わたしをメッタメタにする。この、兄上エロバッドEDでも『あれ?こんだけ?』とか言った地獄認識なわたしが、メッタメタですよ。いや、観月は兄上も真っ青なハードエロばかりであるとかそういう意味じゃない、全くない、そうじゃなくて、まあ、小説の内容が悪いというよりわたしの愛の在りようが、合わないって話ですけど。
具体的にどう合わないのかは、明確なようでいて文字化するのは面倒くさいけども、要点だけ押さえると、みんなもっと観月を幸せにしてあげようぜ。いや、幸せだろうものも少なくはないんだけど、もっと、もっともっと包むように幸せにしてやろうぜ。たやすく悲しみに埋没してしまう捨て鉢なあいつを、どこまでもどこまでも大事に愛してほしい。
わたしが苦手なタイプの観月夢、いや夢に限らないけど、創作を見て感じるのは、とにかく観月かわいそうすぎる。自キャラがどんなに大変なことになっていたとしてもそんなことはどうでもいい、そのことに触れている観月がかわいそうで仕方がない。それでいて哀れみは受けぬ観月の厳しさに太刀打ちすることもできず、同情は憎悪とか殺意に遷り、それで疲弊する。
結局観月に惚れた経緯はそういうことで、同情が憎悪になってそれに焼かれて、それからやっと、惚れてたからだと気付いたんですけど。
もっと、過保護なほどに愛さなくてはと思うんだよね。ピュアブラの野守が↑の『私のピアノは~』みたいな感じでたまに過保護を見せるのはそういうことで、彼女の卑怯は過保護の裏返し。いや、あいつの場合どんだけ守るように愛しても手が足りないんじゃないかと思う。だって、わたしがそうだから。
自分が幸せになりたいと思うのと同じように観月に幸せになってほしいと、自分に対してよりよっぽど強く思う。観月がもしそのようなかたちでもって幸せになれるなら、わたしは自分がそうやって幸せになるよりもよっぽど幸せ。この望みが他人を限定する罪にもなるってことはわかってる。でも、もしこの限定に降りてくれるのなら。
観月の、いくつかの汚れや嫌悪や嫉妬や挫折や憧れや叶わない理想は、わたしそのものだ。それなのに無駄なほど気高く潔癖で、わたしの生き辛さなんか比べようもなく、だから、すべて満たされて祝福されて、甘い切なさにだけ汚れていてほしいと思うわけ。わかってるよ、たとえ本当にそうやって観月の種々の変なところがわたしと似通っているんだとしても、わたしはあまりに観月に共感的すぎるんだよ。でも汝自身を愛するように汝の隣人を愛しなさいって言うじゃねーか。
まあ総合して思うに、わたしが苦手な大多数の観月創作ってのは、観月の奥の奥までズケズケ入り込んでないスマートな作品か、それとも奥の奥を知っててあえて触れないサドっ気あふれる作品か、って感じですかね。あれ、いいじゃんそれ…。
ただそうするとわたしにはハードすぎる、と。自分の奥の奥が痛むのの二倍痛くなっちゃうんで…!
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