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2024/10/07(Mon) 04:14:45

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 相変わらず観月を思わぬ日のないマリモの久し振りの観月語りです。しかしわたし観月にKOIしすぎである。
 以降長いよ。


 観月のことで殊に思うのは、自分では自分のことを分析しているつもりでまったく観月のことなんぞ考えてなかった語りが、突如他人に『それって観月のことじゃねえか』と言われることが多いということです。最近も母に自分の考え方の成長と安定(というか以前のわたしがいかに幼かったかということ)について喜んで報告していたら『観月語りしてんの?』と指摘されたいそう恥ずかしかったものです。
 いやわたしはマジでわたしの話をしていただけなので全然恥ずかしがる必要はないのですが、母の口から自分と観月の関連についての言葉が出てくると非常に恥ずかしいです。オタ(しかもドリーマー)親子ならではの感覚ですね。母はこの実は冷めた娘の稀にみるパッションの長続きにたぶんもはや呆れて観月をわたしの恋人か親友のようなもんだと思っている。そういう意味での関連は否定したいのですが。話がずれました。

 そのとき話していたことについて最近観月含めて考えてみて、なんかひとつ得心がいったような感じがしています。
 少女マリモはかつて人と協力するということが苦手で、何かをするときは一人で全部仕上げてしまうのが一番効率的で出来も理念もいいと思っていて、そうでなければ集団に自分が仕事を分配して管理して検閲して支配して、とやらねば自分が所属していてしかるべき団体活動はできぬわ、ぐらいにまで思っていたこともありました。そんくらい激しかったのは小さい頃ですけども、やっぱ解消はされずにそういうふうな意識していたんですよね。
 でも大学に来てから、大学のみんながやる気と責任感にあふれていてフレンドリーであるということと、たぶん自分に受け入れの素地がやっとこさ整ったということでか、連携というものがうまく運ぶさまを目の当たりにして参加できて、すごく感動したんですね。なにげないことだったけど。
 それぞれがそれぞれの分野を責任持ってこなし、たとえひとつひとつが不完全でも皆にそれを訴えていくことで皆がそれぞれに転がして補完してくれ、しかも不完全な考えでも皆の気付いていないことを投げかけるという重要な役目で、やさしい人たちの仕事意識で編むように大きなことが為されていく。しかもそこに自分が受け入れられて、ちゃんと働けているということが、ものすごく嬉しくて、びっくりしました。
 完全でなくていい、というフレーズはよく耳にしますが、完全でないことを仕方ないこととしてゆるすのではなくて、完全でないものがしっかりと受け取られ有効なものとして成形されていくさまには目からウロコでした。人を信じることができるかできないか、というよりは、人を信じるということのあり方を実感できたという感じです。自分は一人ではないのだなーというのはこんなに安心できてすこやかな感じのするものなんですね。

 自分が孤独でそこがひどい戦場で、自分は生き残るため警戒せねばならぬのだ、と思っていたはずが、実は敵味方なんか色分けされていないただの荒野で、みんなで家とか建てたりもできるところだったわけです。1から10まで自分でかっちり計画してそのとおりにしなければ動かないのではなく、発案してみんなにはかるとか、空いてる部分に入るとか、自分の得意分野を申し出るとか、担当を任せるとか、要はただ単にみんながそれを進めようと思ってさえいたらよかったんです。
 観月を別に好きでも分析しようとも思ってない母がそこで『それ観月じゃねーか』と呆れられたのはひとえにわたしの家でのゲーム観月ルートでプレイしすぎの賜物(PS2は母の部屋にあるので)なわけですが、確かにそういえば観月学園祭でめっちゃ重要事項っぽく跡部に『人の力信じやがれこの天パ(最後言ってない)』とか言われてましたね。
 ……ていうか今思ったけど、言われてなくても観月というキャラクターのコンセプト自体そこだったんじゃねー!?うわ、今まであまりに観月をそれ自体として見すぎてまるで俯瞰把握できていなかったということか!?うわ、3年以上も経ってまだ観月に新たに知れるところがあるということになんか……恥ずかしいんですけど……!恋かよ。恋でも望めぬような理念をよりによって観月でとか。

 まあそういうわけでこの二人は少女マリモと同じくそういう孤独ヒロイズムで世界を戦場と勘違い、よくピュアブラは『戦友』と表現していただくのですがそこまではいかぬまでも、同じ孤独感を共有して、すごくまれなことに自分と同じ材質で出来ているみたいだから触れ合うことのできる存在、と思ってユルく求めたんだと思ってそのへん納得がいきました。まあこの二人のはじまりを考えるってことは高2当時の自分の無意識を分析するってことなんだけどさ……。
 それに、実はわたし、観月があそこから成長して大人になっていくということに、今まで不安を感じてたんですよね。不安も何もフィクションなんだから好きなようにしたらいいだろ、という気もするのですが、もう観月はわたしの中で自分を託してるものであるとともに動向の恐ろしい他者でもあるんだよな。(つまりウテナ?)まあだから、あれから観月が成長していってしまったら、もうわたしの……、アレだ、わたしのその……、あえて、あえてこう言うけど、『わたしの観月』ではなくなってしまうような気がしてしまって。でもその不安って、ほかならぬわたしが子供であるということなんですよねきっと。
 人を信じられず自分で全部しょった責に耐えきれず、破綻しながらしか仲間といられなかった観月が、どういうふうに成長していくのか。それがこういうことなんだとしたら、こわくないどころか、わたし自身が同じようなことだったんだなーと納得するとともにひどくこっ恥ずかしい気持ちになります。

 普段はわたしは野守ですので精神的には半歩前というか、ちょっと諦めたところから観月を見てるつもりだったのですが、実はそのわたし=野守も見えてなかっただけで同じようなヒロイズムと移り変わりがあったんだぜ、というのは……いやマジこっ恥ずかしいな……。
 でも自分の成長についてくるものである『黒歴史』とか『こっ恥ずかしさ』とかが野守にものっかってくる、というのは、嬉しいような、そんだけ観月に入れ込んでしまってるということがさらに恥なような、まあいいか……。

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2007/11/26(Mon) 22:28:50
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