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2024/07/03(Wed) 11:17:44


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 鷹の目のノガーミ(元ネタ:ミホーク)


 もはや一年近く消えて突如復活する芸みたいになってますが、元気に生きています。マリモです。
 ついったーとこちらの書き分けについてそのうちいいバランスが見つかるだろとテキトーに構えていたらついったー100こちらゼロになってしまいました、人生にそのうちなどないということが学べましたね。
 と、公然とついったーに居座りながらサイトも畳まぬ恥知らずなわけですが、やはり長い文のほうが適している語りというものはあるわけで、こちらに舞い戻っている次第です。こっちのほうが反響いただけるしね(動機はいつも虚栄心)
 反響も何も誰か残ってると思ってんのか!思ってない!


 誰も残ってないことを確認したところでやや過激な話を始めたいと思います。
 ここを見に来てくれている(今はいない)方々にはどのようなオタ立ち位置の方がいるのでしょうか?立ち位置というのは、夢女であるとか、腐女子であるとか、NLオタであるとか、その割合がどのくらいとか、たとえば夢女であっても主人公は自分と関わりない独立キャラ派とか。
 特に夢女の界隈では戦争が多い―主に腐との対立―ですから、そのような立ち位置自認について考える機会も自ずと多くなるのではないですかね。


 マリモは最近は「極タカ派夢女」という自称をするのですね。


 極、とかタカ派、とかは政治的スタンス(保守極右、とかハト派、とかのあれ)の言い方からパクッています。なんとなくニュアンスは伝わるですかね。あ、こいつ頭ヤバそう、ということは。
 これで何を言いたいのかといいますと、まず先述のとおりこいつ頭ヤバそうだなと瞬間的に伝わるかなっていうのと、「夢女」としての攻撃性が普通にコミュニケーションできる範囲ではないということです。マリモはナチュラルにコミュ障ではあるのですが創作的スタンスとしてもコミュニケーションがとりにくい生き物なのです、と主張しているのです。理由はこれから言うとして具体的にどういうコミュ障になるのかというと、愛すべき創作仲間にマジ嫉妬して転がって躁鬱を繰り返したりします。関わりたくねえー!

 そもそも夢女子は宿命的にオタコミュニケーションには向かない存在であるとわたしは思っています。
(転嫁じゃね?)
 まあ転嫁もありますがそれはそれとして、そもそも夢小説というのはキャラ×「自分」なわけですよね。自分なわけですよ、成立が。今でこそキャラ×「主人公ちゃん」とか乙女ゲーの主人公攻略するギャルゲー出せとかそういう感じもありますが、成立の気持ちは「好きなキャラが自分に恋をささやいてくれる」ということ以外になかったわけです。これは間違いありません。マリモは地味にホイッスル!の夢小説黎明期からの生え抜きなのでそれは知ってます。
 その昔繁栄したホイッスル!の夢交流型同盟がありまして、まあぶっちゃけうちのかーちゃんのサイトなんですが、そこでは(交流内容のシステム上ではありますが)完全一夫一婦制が敷かれていました。たとえばスガさんは私の婿、というある種の保証のうえでの交流場だったわけです。
 それは、現実と同じですよね。女の子たちは別々の彼氏をもっていてコミュニケーションする。ときにのろけと冷やかしを織り交ぜつつ。それは正常なコミュニケーションです。このシステム上なら夢女子はコミュニケーションとれる。腐女子は「キャラ×キャラ」が厳然とあるから松坂VSイチローを観戦するファンのようにいっしょにキャッキャ盛り上がれるからコミュニケーションとれる。
 じゃあ婿がかぶっちゃってる夢女子は?
 彼氏や好きな人がかぶっちゃった同じグループの友達は平和に恋バナできるか?

 もちろん夢界があまり血みどろの同士討ちになってないことからこの問題がうまく処理されてることは想像がつきます。
 書き手とそれの読みファンである限り問題は少ないんですよ。名前変換もあるし、書き手は書くとき自分だと思って書いててもサイトに供するときはさああなたのだと思って遠慮なくお食べ、と自分の手を離してゆるしているわけですから。ファンは書き手の手を離れた好きな料理だけをおいしいおいしいと食べて、おいしかったですうう書き手さんの「小説」最高ですうううと言えばいいのです。
 でも書き手同士はどうでしょう。もちろん二人の波長が偶然合って、上記の書き手と読みファンの関係が双方向にできているのであれば問題ないでしょう、でもそうじゃなかったら?読み専は自由ですし書き手との交流も交流というよりファンレターです。でも書き手と書き手はやっぱり同じ好きな人を思いあう姿の見えるライバルの側面もあります。姿が見えているぶん交流にも読み専より創作的な責任がちょっとでもついて回ることでしょう。
 「主人公ちゃん」「ヒロインさん」という言葉はたぶんはじめそれを緩和する処世術として生まれたのではないでしょうか。そして女性はそういう処世が上手ですから次第にそれが内面化して、「キャラ×ヒロインさん」や「うちのこ萌え」を楽しむことがエレガントで「自己投影」は「乙www」であるようになっていったようなところもあるのではないでしょうか。
 まあ恋愛的にとかではなくキャラメイクに非常に中二な自己投影をしてしまうことは若気の乙なのですが。

 そこに一人のマリモが来ます。
 このマリモは夢と現実との区別がてんでついていないので、夢小説を発見して、これやー!これがわたしの書いていたやつやー!と喜びます。読んで、書きます。こりゃさすがに自分じゃねえわなという主人公の小説に出会ったらスルーします。そんなマリモが7年前このサイトをつくりました。理由は観月というパートナーに出会ったからです。みんな観月とマリモを愛してくれます。なんかもう観月はマリモのものになってるわけです。みんな甘やかしてくれるので。
 そこで小田桐に惚れて、観月のようなパートナー意識ではなく恋愛的に惚れたので恋愛を歌っていきます。主人公は基本的に無個性系なので交流もそんなに問題なく主小田主の友達もできました。そして女主人公ができて、小田ハムというジャンルができたとき、最初喜びました。小田桐書いてくれる小田桐を好きな人が増えたから。でも他の人の書いた小田ハムを読んではっとしたんです。
 これわたしじゃない、と。
 わたしじゃない誰かが小田桐に美しく愛されている、と。
 他の人たちのようにそれを愛することがわたしにはできそうにないと。
 小田桐を愛している愛すべき人たちに嫉妬して傷つけてしまいそうだと。

 そうして嫉妬に嫉妬を重ねて悩んでマリモは思いました。わたしは人と交われぬ過激思想の夢女だと。同じキャラを好きだということをかすがいにしては友達などできないだろうと。友達とだって空気を読まずに好きな男を争い、無抵抗半笑いの相手から必死の形相でハリボテの愛する人を奪って不毛な勝利のポーズをしてしまうのだと。すごい!単純に馬鹿!関わりたくない!
 当然物理的にも精神的にもどうやっても二次元を自分のものにすることは不可能ですし、あと本当に自分しかそいつのこと好きじゃなくなっちゃうのも需要も供給もなくなっちゃうってことだから普通に寂しいというわがままぶりなので、せめて名乗ることにしたのです、自分がさわるものみな傷つけるギザギザハートだということを


 極タカ派夢女というのはそういうわけです。タカ派は主人公=自分(キャラ×自分、○○はわたしの婿)思想、さらに極がつくと外部への嫉妬などの攻撃性が出てくるというところでしょうか。さっきも言いましたとおり原理的に夢女はタカ派であるのが基本姿勢なのですが今は自己紹介すべき事柄と考えます。
 それでもそんな政治スタンスを語り合える友達は欲しいので極タカ派夢女の集いを一瞬考えたりもしますが、皆さん、それはあかんですよ、そういうロックな人間が集って政治を語り合っちゃったら維新の会になっちまうのです、一人で芸術しているのが一番なのです。

 でも友達ほしいです。

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2013/02/06(Wed) 22:53:46
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