(カラス)
それでもおれを愛してくれるの?
日向さんにいただいたものに挿絵的な絵まんがをくっつけて2周年記念に渡すという、まさしく恩を仇で返したものを観月部屋の件のいただきものの下にアップしました。やっぱP3以前と比べるといくらか絵が変化してるのが見てとれますねー。ザ・ヤドカリ女。
そういえば、よく考えたら(わたしのオタ人生に比すれば)ほんの5年くらい前のわたしがこんな毎日男ばかり描いていることを予想しただろうか……。今でも不思議でならない。まあ男ばかりと言ってもハルは自分みたいなものなのでノーカンかもしれないですが、それにしても柔らかいバストをまともに描いていない期間といったら……わたしのもともとの絵の性質からして信じられない……。(野守は……アレなので……)
スピッツとミッチーをローテーションしながら読んだ本のメモとかしています。おきにいりはミッチーの懺悔。清らかに強く愛しあうなんてー無~理~なの~?スピッツ・ミッチー・マッキー(…のさげさげ方面)はハル音楽です。
最近友達に人好きじゃないの?みたいなことをよく言われます。(悪口じゃないです)
関連して、軽めの創作物全般に言えることなのですが、軽薄な男というものの描き方がマジで軽薄(内実が、ではなく描き方が)なことが多いような気もして、もったいないですね。わたしなんかはわりと軽薄な男に力点を置いていて、ハルもその範疇に入るのですが、なんというか……虚無とか、哀れとか、メタ的なナルシシズムとか、破滅とか、ある種強烈な自省(制)とか、そういうものを描きたいと思うのはわたしがそうだからなんでしょうか。
非生産性にすすんで踊るうす笑いをもっと描きたい。非生産なんです。きっと前に進まない色なんです。愛憎に終始してしまう。愛憎のことしか考えてない。愛憎しか欲しくない。愛憎しか入らない。愛憎にしか責任もてない。そのほかのことに及べる力を持ってない(分配しない)ので、そういうなにものでもないような、しかも毒々しいネオンの中でしか踊れない。そこがどこなのかもわからないし、それを知ることにも責任を持てないから知らなくていい。
望めないものを望まないのは怠惰であり最低限の思いやりだと思います。わたしはそういうマナーの中で生きようとしてきたのを、ごく最近になってちょっと変なのかなということに気付いたんですよね。みんながあまりに身の丈以上のように見えるものごとに興味を持っているようだから……、もしかしてほんとにわたしは人に興味がないのかなー、と、あんまり言われるのでブーブーしてます。興味がないつもりはぜんぜんないんだけど。うーん。
体が二つない以上ひとつのもの以外は最終的にどうでもいいでサラっと納得すべし、っていうのは、当たり前のことだと思ってたんだけどなー、やはり違うの?なんかよくわかんないけど残念な気持ちだ。わたしは自分自身をけっこう人間的なやつだと思ってるんだけどそうも見えないのかなー。まあそんなこたどうでもいいんだけどね。みんな好きだし。(ていう言葉に真実味が薄いらしいんだけど、そんな……そもそも真実味だなんて面白いよ)
清らかに強く愛し合うなんて無理なの?素晴らしい未来を望むばかりで
こらえきれずに流す涙は 憎しみ 打たれた右の頬つたうから
僕の知らない思い出と君は踊る ベッドサイドの不確かな闇の中で
こらえきれずに流す涙はジェラシーじゃない
やり場のない僕の“懺悔”です
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