かーりんさんにリクエストいただいた性別逆転観月と野守(セーラーと学ラン)でござい!ございござい!野守がどちらかというと彼女自身の男性化というよりも彼女の双子の弟のようになってしまった気もしますが。身長は156:182ぐらいか。ややひょろ長いのが野守で、けっこういい体してるのが弟という別ですね。
女体化観月を描くと特に、寮の友達にすごく観月っぽい髪質をしてる長い髪の女の子がいるのですが、その子に恋をしそうになります。定期的に隣に座るのでうっかりキスしてしまわないか心配です。
背景の色味が性別反転恒例色になっている。
すごく久しぶりに『白詰の乙女たち』をひとつ更新しました。これは書き始めてからゆうに3年は経っているにもかかわらず、いまだに終わってません。ノートを見たら最後に手をつけたのが今年の7月でした。7月はやたらと筆が進んで、のろのろしたペースなら1年ぶんの更新をすべて7月だけでまかなえる気さえします。いやいやオールシーズンがんばって書こうぜマリモ。というわけで今回の更新分もメイドイン2006でお送りしました。
日向さんからのいただきピュアブラ第4弾もアップさせてもらいました。マリモが新成人ですので、成人祝いという感じですね。すごく今考えていることとシンクロしてて、日向さんはほんとにマリモ以上にマリモのことをわかってくれるよなぁーと思います。これについてはこちらでさらにいらんものをくっつけさせていただこうと思っているのでハラハラしながらお待ちください。
そしてリンク2件修正しました。お知らせありがとうございます~。
結局子どもでいるということも大人になるということもどっかしらまちがっており、特に子どもから見たら大人は小汚く見えたりするものですが、でもなんなきゃなんねーからなるのではなく、やや諦念的でもなりたいと言ってなりたいと、思います。花が咲いて枯れるのは実をつけるため。命だけでなく輝きとかも、生まれるから死ぬというより死ぬから生まれるのだと最近思います。
何かを選ぶということ。必ず間違うということ。答えを知っている人がいないということ。評価すらないということ。自分の間違いを、必ず誰かを否定する自分を、自分の全部をかけて愛するということ。誇りということ。責任ということ。折り合うという言葉は諦めるという意味ではなく、絶対間違ってるものしかない場所で自分の点を選び取るということなのだと思います。正しいか正しくないかではないのです。ただそのために生きて死にたいと思えるかということなのです。大人として生きるということはそういうことなのではないかと思います。
絶対正しくないということは知っているので、ただそのとき何も正解じゃなくっても、好きな人がそばにいてくれたらいいと思います。そのときは永遠に少年少女でいられることが、愛の視線。
「君と一緒に、まるでダメな大人になりたい。そして次の世界の子供たちに汚らしいとでも言われていつか作った城をぶち壊されて、その走っていくさまを隣で見送りたい。私たちがめくらめっぽうに駆け出したみたいにそれは、きっときらきらして、でも私は、君も見るものを見て、それでかまわないんだよ。多分きっと、そういうもので、私は嬉しい。
君はそれじゃ駄目だろうかな。」