夏休み中にうっかり真田先輩と映画祭おデートをしちまった件について。だって…!夏休みまるまる小田桐に会えなくて皇帝成分が不足してたんだ!(そこか)
しかも先輩はワイヤーアクションがなんであるか知らん様子。『俺もまだまだ修練が足りん…!』とか言ってしまっていてちょっと愛しかった。なんでこのゲームの先輩はみんな異常にかわいいんだ。
しかしわたし自体の性別は女ながら、こうして男2人で映画とか行くとやはり身の置き場がない感じがする。前述の『性愛格差論』にもありましたが、日本において男2人というのは女2人や男女ペアに比べてしっくりと居座れる場所が極端に少ないですな。よし、小田桐。男同士で出歩くのが気恥ずかしいと言うのなら、おれぜんぜん女装するよ。(論点が)
『性愛格差論』読んでて、まるで主題とは関係ないことなのですが、わたしって女性的なところも多々あるけども、またトランスゲイ的な性質も持ってるのかなあと思われました。女性的な、女トランスゲイ。
なんか変だけど、性別にも体の性もあれば心の性もあれば、内容としての性質もあるわけで、ハードとソフトに分けるとしたら体の性はもちろん心の性もハードとしてみることもできるんじゃないかな。女性的な男性と、女性の心を持った男性というのはイコールではないと思う。女性的な男性の心、というのと、女性の心、というのは同じってわけじゃないですよね。そういう意味で、心の性もひとつの入れ物・ハードのかたちともいえる気がする。
なんにしろ、なんかそういう視点(わたしがトランスゲイ性質をもつという)を持ち込んでみると、モヤモヤしてたものがいくぶんかスッキリしたような気がします。まるまるトランスゲイかというとそうとも言えないのですが、そういうところもある。心の性はハードでもソフトでもありますし、心全体としても変動や部分的な別働は当然あるもんですから。
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