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2024/07/05(Fri) 16:58:26

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 魔法をかけたのはおまえだよ


 絵こそP3ですがなんか話題は創作論みたいな話をついろぐからまとめ、でもまあP3の二次創作の話題から出てきてるからかんべんしてよ姉さーん


竹宮恵子先生のまんがではイズァローン伝説がほんと大好きなんだけど、ある感想で「最も人気があるのはなんといってもカウス・レーゼン」て書かれてて、コミュランク8から小田桐が怒涛の好感度を獲得していくのを見るような悔しさを覚えます(おまえら最初はなんとも思っとらんかったやろ的な)
posted at 01:59:29

マリモがあれを読んだのは小学生のころだったけども、その当時から、もちろん小田桐と出会ったときのように初登場からそのいい男ぶりを確信していました。でもマリモのアンテナに即座にひっかかるような、つまり小田桐ポジの男が最終的には主人公の相手役になるというのがイズァローンのすごいところ
posted at 02:03:50

なんかこれ似たようなこと前にも言った気もするけど、カウスとティオキアの配偶が深く印象に残っているからこそ、小田桐と男主人公を国士無双に絶対佳人とばかりにふたつひとつの関係と見たんだろうなー。なんかもうべつにうちの小田ハルはBLじゃないよ BLの定義がもうわからんよ
posted at 02:10:47

ティオキアとカウスの物語はべつに燃える愛や無二の絆の話ではなく、「救い」の物語なんだよな。日本の少女マンガにおける少年愛ものがそのはじまりにもつ「耽美系」っていう流れのテーマは「魂の救済」であるようにおもうし、わたしもそれを意識して書いてる。美とは救済の姿の名前なのです。
posted at 02:32:30

おなじようにわたしは小田桐とうちの男主人公を「救い」の関係とみたわけな。トーマの心臓のユリスモールとトーマ‐エーリヒのように、人の孤独や弱さを愛してキリストは生まれ、その清らかな脆さに人の魂は救済される。
posted at 02:40:10

P3における主人公の死についてなんでわたしがサッパリとしてるかと考えると、そればっかりは主人公=自分と思ってることのよい側面といえるだろうなーとニヘラします。好きな子がいろいろ半ばで死んじゃったらやるせなくもなるけど、自分が自分の命をいっぱいに生きてると思えたらわりと平静だもんね
posted at 04:19:16

重要なのはP3というゲームがテーマの体感のために死とその前にある生を疑似体験するという意図であること、そしてそれを疑似体験したわたしが生きてるということです。だったらするべきことは、死にも恥じぬように生きる、それだけのことでシンプルだなと思うわけです。それ以上の必要はない。
posted at 04:24:20

なのでP3の二次創作は書き手が=主人公であるかそうでないかで前提の展開が変わってくると思います、つまり=主人公派であれば本人は生きてるわけでゲーム中の死は疑似体験という寓意だけど、そうじゃない派にはゲーム中の展開は寓意ではなく物理的事実の側面が勝つこともままある。
posted at 04:28:34

P3以外でもプレイヤーが主人公によってなんか経験するようなゲームにはそういう寓意のレベルみたいなのがあると思ってる。いや、ていうか、全部寓意か。ただ二次創作をするときにはゲームと同じテーマとつくりはもちろんしてないから、どういう基準でどこまでその世界を遵守するかを決める必要がある
posted at 04:38:00

まあでもこれは「原作に感じたテーマ性に準拠したうえで書きたい!」という場合の話であってすべての二次創作にいえることじゃないんだけどね。一般化すると二次創作もその信念によって原作の要素を抽出すべきってハナシ。どういう意味の話を書きたいのかによって守るルールも違ってくる。
posted at 04:44:20

学問でも仕事でも創作でも日常のことでもマリモの思考の特徴は卒論中と変わらないです。何が目的でもだいたいいいと思う、ただ目的があるようではっきりさせようとしないのはダメだし、目的に合わせた方法や程度を選ぶべきだ。望むもののためにルールを決めて守ってこそ誇りも責任も持てるというもの。
posted at 04:54:09

中二病ってつまりコンセプトをはっきりさせられていないってことだろ?子どもがまだうまく考えられなかったり選べてなかったりいかようにも変化するのはふつうのこと。黒歴史っつーものが非常に恥ずかしいのはそれが拙いからじゃなくて、「今にして思えば十分考えず覚悟しないでやったこと」だからです。
posted at 05:03:41

表現にも人と同じように悪意をなだめて冷静に共感するべきで、たとえばコイツ読者にわからせる気あんのか、と思ったとしても、そこにはいろんな理由の可能性が存在して、もしかしたら、安易にわからせるようなことを言えない理由があって、そこにこそほんとうの意図があるのかもしれないのだ
posted at 05:20:16

まあ結局誰にもわかってもらえないんじゃ表現してもしょうがないけど、漫然としてるだけでわかることだらけの世の中でもないのだし、受け取る側もジャンプすれば見えるか試みることはだいじだよね。そのうちジャンプ力上がるし、ときには読み手のジャンプ力を上げることを目的としてる表現さえある。
posted at 05:24:08



 などと学術的なこだわりを回転させているがゆえに筆がスローリーなマリモの言うことだしまあ話半分でおk、でも自分がそうなるまいと気をつけてる表現とか読みってだいたいこんななんですよね。テーマがどうかとか何が書きたいかじゃないんですよ、何を見せたいかわかってっか?それを見せようとして表してるか?ってだけのことでサ。
 なんかそう表現してカッコいい気分になっただけ、というのに気付かないことがよき表現の隠れた敵なわけさー現役中二患者の闘病記からすると……。マリモ的にいうと演劇とかかなりそういうの多くて、スキルがあって努力があっても「自分の作品のかっこよさ気を気持ちよく踊ってついでに人にも見てもらってすごいって思われたらおんの字」的な人って、たとえすごくても表現つーより吐露っつーか、独り言言ってたらちょっとわかってもらえましたみたいな感じで、わかるんだよね。マリモは自己顕示欲の塊だからもちろんそういう気持ちあるしさ。
 いや、こういう話するときにいつも誤解しないでほしいのは、マリモそういう表現する人のこと別に嫌ってるってワケじゃないからね!吐露と表現にどっちがエラいとかないし、ただ自分が何を表現したいと思ってんのか、そんでそれが読む人にどう読まれると想定すんのか、それらに、つまり自分の表現に納得して書いてほしいなと思うわけだよ結局。押し付けがましいかもしんねーけど自分の心の望みについてよく考えてヨシと納得するのは幸せになれることだし、せっかく創作やってんだからよりいっそう幸せになってほしいってわけよ。

 人に何かを伝えられるとか伝えたいとか感じてほしいとか自分で思える表現をすることは救済だっつう話です。

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2010/07/22(Thu) 04:34:29
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