忍者ブログ
現在サイト死亡中。復活めざして
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2024/07/05(Fri) 16:45:05
081214.jpg


























「ご大層なンでやんの」
「そういうものだ」

 コミュに投下したついでにピクシブにもこれと小田桐関係を3枚うpしたんだけど意外とイケてびっくりだよ!こりゃ主小田主いけますかね。ゆくゆくはマイナーカップリングでもエロれますかね。ちなみに、小田桐と主人公くんのカップリング色の感じられるものはピクシブの中で(わたしのを除いて)3枚ほど看守されています。これは……いける……。


 鴎外の「雁」をさえたんのレポ手伝いで読んでいます。
 かなりウテナ的というかユング的というか「眠れる森の姫にさよならのキスを」的な文脈があって、女をカワイイけどウザい弱者とみなしていた鴎外としてはスゲー話ですよ。上記のように寓話性質の強い読み解きの楽しい文学なので、おすすめですよ。読む前にウテナを読んで考察するとなおいいんですけど。

 作中の「成長しようとする心」であり「女性的なもの」として描かれているお玉ちゃんは、構造的にわたしの長編のハルに重なります。小田桐は末造と岡田両方だなー、ウテナで言うところの暁生とウテナ両方であったように。長編時点では岡田にかなり近いけど。
 ハルはゲーム本編中「自分は小田桐の味方」と接して(というかそう接せざるを得なくなって)小田桐の父性的すぎる庇護下に入ることで「分別」(大人の、という意味でも、切断、という意味でも)に目覚める。高利貸し末造に囲われたお玉が自我の芽生えをみたように。そして友誼に基づいた純粋な善意からときにスポイルするほど守ってくれる小田桐にいたずらに影を肥え太らせる。岡田に接し、自分の心を象徴する鳥を逃がしてくれるかもしれなかった蛇を退治してもらった(あまつさえ鳥籠の修理までしてもらった)お玉がチョーシん乗ってきたように。
 でもうちの個性化物語と雁との違いは、雁だと岡田が洋行して舞台から消え去っちまう(それよって物語が終わる)ってことなのです。
 影が太るのも、成長です。チョーシん乗って一度は羽ばたきの試みが失敗するとも、それは成長のいち過程にすぎません。でも対象に消えられちゃーしょうがないっすよね。現実世界だったら実存的な相手が逃げることもまた失敗のひとつ扱いすることができますけど、文学ってェのはひとつの話に完結し、ひとつのことを象徴する登場人物がひとりだからな。それは失敗というよりもっと重い挫折、欠損であることのほうが多い。

 なんで岡田は洋行で完全に逃げを打って、小田桐はそうしなかったのかって考えると、それは「小田桐とハルの交流は既に一度成っているから」というのがデカいのかもしれんですね。逆に言うとお玉が恋の行動をおこすまでに岡田と交流らしい交流をしてないのが原因と。
 お玉が岡田に声をかけようと表に出ることに対応するのが、あまりに友人としての自分を正しく信頼する小田桐に不条理にプッツンきたハルのぶっ壊し告白なわけです。でもその後小田桐は無意識に責められてつまり性的にもモヤっとしつつもそれを全否定せず、ハルのその不条理なまでの想いを引き出して対話しようと試みます。ハルと対話せねばならないとした小田桐の理由として「自分は彼に受け入れられたのに」というのが、完全に意識に立ち戻ってしまう前に出ます。皇帝コミュ中に「包み込むような優しさ」に変えられたことですね。
 恋なんて道理から外れたことのキワミなわけですから、交流にも前準備交流が要るってことですよ。必ずしも要らないのかもしれないけど、少なくとも道理の半身に「洋行」されちまうくらいの危険性はあって、そうなったらもう叶わないってことなんですよ。


 影を全否定して捨てることは逆に影の暴走を招く、っていうP4での基本常識はきわめて汎用的な心理学です。
 最後にウテナの話になっちまいますが、黒薔薇編の樹璃さん回「死の棘」の中で、樹璃さんが枝織の写真の入ったペンダントを思い切って湖に投げ捨てた、その次の瞬間に意識の気高さをあらわす薔薇が黒く染まって摘まれる(=無意識・影であるキャラが台頭する準備が整う)カットが入るというシーンがあります。そしてそのペンダントは枝織の部屋の花瓶の水の中から発見され、枝織はそのペンダントを開けて中から流れ落ちてくる水に腕を濡らし狂乱する……。その後はもちろん黒薔薇編お約束のレイプシーン(違う)ですよ。
 これは、樹璃さんが自分の恋心(枝織においては女らしさとして発現する)という影をブチ捨てようとしたが故に影に蹂躙された、ということっすよ。

 余談になりますが、上の話、芸が細かいことに捨てる場所が「湖」、発見されるのが「花瓶の水の中」ときたもんだ。水は無意識の領域を意味します。そして花瓶っつったら、女性器の暗喩ですからね。
 樹璃さんは恋心に溺れたくなくて、そして枝織を愛するがゆえに枝織のような女の子らしい女の子の対極にいようとして、男性的になっています。でも素の樹璃さんのデキが女性的であることは何かにつけて表現されている。
 つまりペンダントを開けて笑い狂う枝織の腕を水が這いしたたるあのシーンは頭痛いほどエロい。これが樹璃の心、本当の樹璃!こんなに、あたしの写真を入れたペンダントからだらだらだらだら、あふれて止まらなくて!可哀想に!可哀想な樹璃さん!とかいう感じでしょうか。うわぁあぁエロいよーー!これはヨゴレ担当としては主小田主でやらざるを得ないな!
 ペンダントが壊れて気高さを自ら手折った樹璃さんは前に進めたんでしょうか。
PR
2008/12/22(Mon) 11:31:55
この記事にコメントする
NAME
TITLE
MAIL
URL
MESSAGE
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com