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2024/07/08(Mon) 12:14:13
 ペルソナ4、4月18日まで進みました。ちなみにノーマルモードです。やはりイージーと迷ったのですが、今回は最初からハードがついてるということで、ノーマルはそこそこであろうと判断して。別にイージーだからってものすごく楽というわけでもないしな。 
 以下長いよ。

p401.jpg


























 今回は最初からベルベットルームに通されたところから始まるのですが、左手前の酒棚らしきものが気になって仕方がありません(主人公は未成年です)。ゴソゴソ。たぶんこれからのベルベットルームのシーンにはこの絵のイメージが流用されると思います。
 名前はベルベットルームでサラッと聞かれます。今回の名前はしつこくアマテラスを意識して、日ノ原照(ヒノハラ テル)としました。佐伯ハルはもとからストックにあった名前ですが今回は初出で。本当は「翔」でショウ、という名前にしたかったのですがなぜか字がみつからず、かわりに同じくショウ読みの照の字にしました。だからテルと読むかショウと読むかは未定かもしれない。でも音声があるわけじゃないので。
 転校したら担任がイヤミ(おそ松くん的な意味で)だった。まんまイヤミだった。イヤミをリアルタッチで描いてみた。一体どこに萌えろと、と思ったのですが、意外といい。こういう教師好きだぜ。教師としてはダメだけど萌えるぜ。二人称貴様!
 お世話になる家ではなんと調理題を調べて材料さえあれば弁当を作れるらしいのですが材料を買いに行く暇がねえ!従妹の菜々子ちゃん(9)は家のことをやってるけど料理するわけじゃないので、くっそ早く俺に君のメシを作らせろーーー!!!何食べたい!?カレー!?ハンバーグ!?(ロリコンではない)(強いて言えばリョーリコン)(うまいこと言ったつもり) 
p403.jpg


























 そんなわけで花村陽介んちことジュネスに行った帰りはタイムセールでおばさまたちと闘って帰ってきたいのですが、まだそんな状況にはならず。くそ……俺の前でタイムセールという言葉を軽々しく口にするな……。(飛んでいってしまうから)

 今回の主人公、「勇気」パラメーターが足りないと勇気ある言葉が選べない、というクソチキンでわたしはイラッイラしております。わたしのキャラなら「惚れるなよ」ぐらいサラッと言ってみせろ!女のアドぐらい表情も変えずに聞け!せっかく今回の主人公の一人称は「おれ」でなくストレートに「俺」でカッコいいな、と思っているというのに、とんだマッシュルームだよ!(髪型は関係ない)
 あと陽介まじかわいい。
p404.jpg


























 冗談抜きに、こいつ順平ではなくブラウンである。よってさらにわたしの愛を受けまくりであり、さらにエロい。順平との兼ね合いで行くと、チエちゃんと陽介で順平ゆかりの要素の半分ずつを交換し合った感じがする。それによって両方とも前作よりイラッとこない感じになってる。うまいなー。
 今回はいろいろと前作でやったことをふまえてネクストステップにいってる感じですね。前作は従来のペルソナの仲間のパンツまで着替えさせているような状態を見直し、仲間との個人的な距離を置くことで他者との絆を考えさせていましたが、今回はその他者性を前提としたうえでそこから絆をまた見ていくということでか、仲間のパンツも見てときには着替えさせられるようになってます。チエちゃんの勝利アクションかわいいよね。もとよりソエジーの絵は手塚治虫足が多用されますが、手塚治虫の描くかわいいものを髣髴とさせるアクションだよね。目をこらせば見える気がするし。(マジでパンツの話をしていたのではありません)
 それに加え、P4によって相対化されると見えてくる構造として、やはりP3は女性的で、P4は男性的、というのは間違ってなさそうです。BGMもよりストレート、ハード、日常音楽の光り輝く清楚さも男性目線を感じさせる。頭の上に出る!のマークも黄色とあいまってカミナリのイメージがある。
 P3でつくられた構造をふまえての、ということで、今回はEDで主人公死ななそうな感じがしますね。P3で主人公が死んだのはジュブナイルという『構造』の問題なのだと何度か述べたと思いますが、もうそれはできあがってるとして、今回のEDではなんかべつのものが描かれそうな気がする。論拠としては、主人公の転校が1年限りのものである、ということがあげられます。ジュブナイルに必要な限りが具体的なものとして既に用意されているのです。

 以下絵なしで今回のテーマ性について論じています。

 テーマ性のソフトのことですが、まずベルベットルームのイメージが車内なのはやはり心の『旅する』という運動を表しているということらしいです。イゴールが旅をしてまいりましょうって言ってた。
 そして肝心のメガネ、もろもろの象徴が表すのを見る限り、今回のテーマは目を開けるとか光を当てるとか、一言で表すと『真実を見る』ということのようですね。テレビが鍵となってることとあわせて考えると、今回よく流れるニュースがけっこうクソなのはマスゴミめが、という感じを通して真実見ろよ眼鏡みがけよ(ドリフ風に)、と黙示しているのだと思います。
 絆システムも前作より強化されているようですが、ここでの絆は『ほんとうの自分を照らす光』なのだそうです。なるほどねー、うまいこと言ったもんだわ。つくる、ではなく照らす、というのがいい。もともとあるもので、しかし可変であり、見ようによっていくらでも姿を変える自分の姿。その『見よう』というのを左右するのが、絆の力であるというわけですね。まさしく絆の力=心というのは、『状態』だということです。
 あと新しい要素の天候システムの鍵である『霧の日』、これは現実世界に霧が出るとTVの中の世界は晴れ、その逆も然り、というふうになっています。シャドウが人間の精神の暗部が制御を失って迷い出たものという設定が最初のうちから明らかにされていることも手伝って、前作より格段にわかりやすい表現ですね。TVの中は前作で言う影時間です。影の、無意識の世界です。そこは普段は霧に覆われていて、現実がけぶると晴れる。つまり普段はあまり自分の内面の奥深くにまで目を向けませんが、視覚の目が塞がれると内の目を開けざるを得なくなってしまう。
 なぜ『開けざるを得なくなってしまう』なんて言い方をしたかというと、この現実では霧の出る日に、TVの中の世界に閉じ込められた人は自分の影に殺されるからです。つまり普段は見ないふりでも良かったものがクリアになる日に、その重みにつぶされるということです。
 この自分の影と対決することによって、主人公以外の人たちはペルソナを得る(つまり影と折り合う)のですが、コレ、対峙するの本人じゃなくて仲間なんですよね。一見、自分で自分に向き合えよ、とも思えるのですが、実はそういうことじゃなく、影の部分が凶暴化して自分にはどうしようもなくなっても、それを弱らせるところまでは周りの仲間が助けてくれる、ってことなんだと思います。
 自分と向き合うことは怖い。怖いから否定してしまう。そうすると影はますます暴走する。そんなときもし一人じゃなければ、向き合えるところまでいけるかもしれない。そして影を見てなお大丈夫だと言ってくれれば、自分を見ることができるかもしれない。そういう話だな。
 序盤から結論掴んでどうするって感じですが、意味がわかるってのと体得するってのはまた別なんだよ。これから体得してくる!
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2008/07/13(Sun) 14:00:52
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