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2024/10/07(Mon) 09:21:54
090513.jpg 最近ほっぽっててすみません、ピクシブが楽しくてね……。
 P3主小田主絵ログ1ページとパレドゥ絵ログ1ページをアップ、そしてついにBBSが絵茶室に転身いたしました。
 いままでBBSでかまってくださった方々本当にありがとうございました。いまでもぶっちゃけBBSのほうが好きだよ!
 メールフォームはかわらず。拍手もかわらず。(変えろよ!!)
 拍手の変え案はちょっとムチャを考えすぎた気がしている。翻すのも勇気だよなー!あっはっは。

 ということで近いうちに絵チャを実験的にやってみたいと思いますがヒマそうな友達も適当な話題もないな。(なんという頓挫)友達ほしいです。
 とりあえず5月15日(金)つまり日付で言うとあしたの夜なんかちょうど週末だしねということで駐在していることにします。19時あたりからユルッといます。
 ジャンル?どうせここには観月好きと小田桐好きしかいませんよーやだなー。
(レミー好きはたぶんいないだろ)


 ピクシブさんのおかげで絵がなんとなく描けるようになってきました。
 観月は字で表現するのがわたしに合ってるキャラだなと今でも思いますが、小田桐はどっちかっつうと絵のほうかなと思うので、これからもどんどん描いていきたいと思います。まだまだ描いてないものスゲーいっぱいあるからね!

 最近の創作傾向はレミー寄りですがバランスよくやる気わいてます。
 レミーも文字寄りなのかなーと書いてみてはじめて思いました。短編なのでじきにできあがる気がします。小説を出来上がらせるのっていつぶりだよ!
 自分のやりたいこととやれることの折り合いをカッコよくつけるスキルのレベルを高くしたいものです。ただここを閉めたりすることはありませんけどね。なんでか知らんがわたしと似たようなマイナー嗜好をもった方々はサイトの開閉についてやたら潔いけどわたしすごい粘着質だからね。自己顕示欲が服を着て歩いているのである。
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2009/05/14(Thu) 00:20:56
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 世俗の悪意から身を守るたぐいのもの


 「この子はとても強い力を持っているけれど、世俗の悪意から身を守るたぐいのものではない」はヴァンEDでのフィーリウス兄上のセリフですが、勝手にレミーを想定した。そういう「たぐいのもの」の代わりになれとヴァンに言うのはややおかどちがいのような気もするけど、たぶんヴァンを選ぶ殿下にはヴァンがヴァンである力が必要ということなんだろうな。同時にレミーを選んだわたしの殿下にはレミーがレミーである力が必要だということなのかもしれぬ、と思ったらなんかしっくりきました。
 なぜレミーにこんなにも執着するのか、はとても疑問でしたが、必要なものなのだと考えれば、そういえばそうかー!という感じで、感覚的にとても納得できます。
 レミーは、わたしのパレドゥレーヌが、というかわたしの殿下が在るための補完的要素というか、うーん、とりあえず、イチャコラこけなくても、「そこに必要だ」ということが、一番重要です。


 SEX PISTOLSのセスとザヘルの文句は
「誓え。お前は私の翼の下へ庇護を求める者か?」
「誓います。私を貴方のひと羽にお加え下さいませ」
 ですけども、パレドゥレーヌが妖の宮と違っている一番大きな点、燃える点は、「誓い」というテーマなのではないかと思ってます。
 わたしがなぜレミーにこだわるのか、それは↑で一応の解決をみましたが、一番わたしを悩ませているところの、「わたしはレミーに何を求めているのか(何が足りないのか、余計か?)」ということ、それは、大げさに言ってしまうと「永遠」なのだと思いました。
 ディトリッシュは「永遠なんていらない、今があれば」という答えにたどりつきますが、レミーに対して使う「今」はそれとは違ったもっと、即物的というか言ってしまえばメッチャ短いものであって、むしろディトリッシュの言う「今」こそがわたしがレミーに求めている「永遠」です。(ディトがダンピールであるという時間の制約うんぬんという話ではなくて、気持ち的な意味で)

 レミーは自分を保っている呪いとカラスにすごい縛りを受けているわけですよね。
 それゆえ、レミーともろもろが重なったとしてもそれはわずかなひとときに過ぎず、わずかだから、と言い訳さえする。そしてわずかなひとときを何かと重ねることで飽かずにいるという、レミーそのもの。
 永遠というものが、言葉尻どころか実際的にも存在するようなもんじゃねえということは、わたしにもわかっていますが、そうと思ったうえで、それを「志す」という意気こそが愛であり、永遠にいちばん近いものなのではないかと目指しているのです。ともに求道する気合いのようなもの。それがほしい。
 だから、ひとつだけ、や、すこしだけ、は、いらない。相対的に見て人生の何もかもがすこしだけの間なのだとしても、全部だ、という気合いの入ってないものはいらない。
 「レミー」はその気合いと真逆の人生観だよなと思うわけです(その人生観が変わっていく物語なのですが)。

 そう考えると、レミーEDは実に素敵な流れだといえて、ガチョーンときます。まさにまさにそれじゃないか……。レミーEDはゲロ甘い言葉とクソ辛い言葉が入り乱れててどう解釈していいのか意味不明でしたが、なんかこの観点で見るとわかったような気がする。
 結局レミーは素直な真実しか述べてないのな。
 つまり、レミーはフィーリア様の傍にいたくて、でも「ひととき」を彩る悲劇にはしたくないと価値観を変容させて、少々時間と手間がかかってみっともないことを承知で、問題をどうにかしようという気合いを見せた、ということですね。そしてどうにかして戻ったあかつきには、そのときこそ誓いを捧げようとしている。
 うわ……適度に泥くさくてカッコいいじゃないかレミー……。理想的で気持ち悪いから今まで気付かなかったのか……。

 なんというか、レミフィリは観月野守の男女と視点を入れ替えたバージョン(レミー=野守ということ)だ、と、かつて言いましたが、つまりレミー殺し=キュウセイであり、レミーED=ギャグくさくなりつつも一緒に歩んでいくルート、ということなのだなー、と考えると、妙に納得がいきます。
 幸せなEDがキモく感じられることがあるのはそれが制作サイドの無理やテキトーなごまかしが見えるからであって、幸せになること自体は気合いの入った実にけっこうな話だ。少なくともわたしは気合を入れて幸せな話を書きたいと思ってる。なぜならわたしが幸せになりたいからにほかならない。


 参考までにパレドゥレーヌの剣の誓約の文句。
「我が父祖の血と、我が名誉にかけて、この剣に託す。
 変わることなき親愛と、永遠の忠誠を。
 戦場においては、わが身をもってあなたの槍となり、あなたの盾となることを。
 願わくば、我がすべてを託したこの剣を、あなたに捧げん。
 我が主、フィーリアよ。
 我が誓いに偽りあらば、この剣で我が首を刎ねたまえ。」
2009/05/11(Mon) 01:28:46
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 みかんぬしエロを描いて予告記事作るはずがなぜ観月野守の性別反転などやっているんだ 理解に苦しむ
 それにしても観月野守は性別反転すると普通に萌える件について。身長差もできるしな!毒舌天使の独唱と不良ピアニストとかかわいすぎる……。(不良だったんだ!?)
 女観月(正直石田のままでも何の違和感もない)の声は住友優子さんを希望。ビンタ!回し蹴り!(三国無双的な意味で)野守は……なんだ……杉田……は、やりすぎか、三木眞あたり?はっはっはっは
 相変わらずわたしの性癖は異常であるなぁ。


 この歳になってやっと自分の萌えの概観がつかめてきたような気がするのですが、その意味についてはいまだ全然わかりません。
 というか、大まかに『髪型』に萌えてるのは一体どういうことなの?いや、髪形自体に萌えてるのではなくて、なぜかその髪型をしてるキャラに自分の、言葉では表し難いまでの萌え要素が集りやすいという謎。まあオールバックは広い髪形なのでそこまでではありませんが……。
 オールバックに属性が集るのはわかるんですよ、象徴的な髪型であるし。たぶん他の髪型もそういう意味があるんだろうけど、一体それがどこから出発した集合無意識なのかわからねぇ。
 要するに、
・ゆるふわミディアム
 ……観月とか忠信とか
・なんかこうレミー的なアレ 前髪→横髪
 ……レミーとかダクハン青とかセバスチャンとか勇とか(セイロンとか)
 まあ特に後者だ……後者の意味がわからないんだ……。
 なぜあの髪型の男はことごとく黒目が小さいというか目つきが怖いんだ。そうでなくてもなぜあんなに暗っぽいんだ。
 片目隠れが暗いのはわかる。前髪で目が隠れてるのはそもそも暗いしそれにキタローだ。
 でも前髪を横髪に流してる髪型がなぜ暗っぽいのさ。ちゃんと目出てるしモサい髪型ではない。確かにチャラくはないし体育会系でもないことは事実だが。でもそれって『育ちがいい』とかそういう記号に変換されることも可能じゃね?

 一体あの髪型の危険な魅力はどこから来るのか現在自分でも作って研究中である。
(ぴく戦で)
2009/04/10(Fri) 01:35:19
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 ホワイトデーでしたが逆チョコだった場合のホワイトデーってどうなるんでしょうね。そしてバレンタインデーにあげ合ってしまった場合はきっとお返し義務とかないのでしょうね。
 とかホワイトデー話などしていますがこの絵はホワイトデー絵ではなく『観月の逆チョコ』というリクのお返事なのでした。ま……まる一ヶ月経ってるどころかネタの意味すら変わってきてんじゃねーか……。 日向さん遅くなってすみませんでした!
 ちなみに観月はじめ→野守唯歌でバレンタインメーカーするとおもしろいことになるからやってみなよ。


 どうも観月と野守の絵でポーズを入れるときは『首に突きつける』が入りがちです。
 今、主小田主っぽいオリジナル小説と、観月を性別反転したピュアブラ百合っぽいオリジナル小説をチョイチョイ書いているのですが、それで描いた絵もそんなような感じでした。

 わたしの書く恋は求道的でちょっと怖いとか普通に見たら寂しい話だとか思わんこともないのですが、こんな歳で求め続けることをやめたらそれはうそくさくてイヤだなと思うので、なおしません。
 主小田主っぽい話のほうはゲイカップルのハルっぽいほうが自分でも怖いほど求めすぎ(ミッチー調)で死のような恋を常に要求して、でも小田桐っぽいほうは普通に落ち着いていく(というか全く変わらない)方向でいるもんだから不一致で困ったね、という話。マンネリズムって、『そのまま落ち着いていく』ってだけが答えとは限らんし、せっかくそのあたりずいぶん違う人間がいっしょにいるんだから擦り合わせてこその愛だよね。それにしてもコレは同性カップルだから書けるような生々しい話だな今考えると……。(異性カップルだととてもわたしに解決できるとは思えない)
 ピュアブラっぽい話のほうはまあ……ピュアブラで書こうとした話からピュアブラ独特の(?)ギャグ臭を抜いてさらに純化して書こうと思ったら百合になったのです。やっぱり純化された性っていうのは、性だったとしても無性になるから、同性愛なんだと思います。自分の愛が終わることを嘆いて相手を愛せず、昔の愛も諦められない永遠コンプレックスの野守(のような女)と、野守もどきに言い寄られてもうずいぶん経って彼女を愛しているにもかかわらず相変わらずウジウジしてるおまえに神の鉄槌、という観月(のような女)の話。写真をブチ破りロケットを握り潰し、思い出をバッキバキにし合って、そして二人で泣けばいい、変わっていくことが悲しくてもいい、いっしょに苦しみたいだけだ、という話。

 どうも、愛情というのは、迫った愛情というのは、いっしょに苦しむってことなんじゃないでしょうかね。お互いの、他には言えないような苦しみを、というかそれだからこその孤独を分かつことが、本当に機能してる愛情の関係なんじゃないでしょうかね。
 だからバレンタインデー&ホワイトデーの贈物の苦悩を分かち合うというのはじつに愛情的行為なんじゃないでしょうかね。いや、それにしてはホワイトデーの苦悩量が多すぎるか……。そもそも男女が恋愛関係において同じことに対してだいたい見合った量の苦悩をするって相当限定された状況なんじゃね?
2009/03/17(Tue) 16:24:31
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ててなしごども


 ててなしご(父無児)ってパソ変換で出ないんだね、ビビッた。みなしご(孤児)は出るのに。

 主人公くんは父どころか母もいませんが、生徒会メンバーは(最終的に)何らかの形で父親とドカンと分かたれている状態になるのだなぁと思うと、ドラマCDに聞きごたえが出るような気がします。まだ後半聞いてないけど。後半にも小田桐が出るとかどんだけ……。
 もしかしたらみつるさんがお父様を亡くしたお話に小田桐と千尋がセットで出てくるのは単なる日常界との接点としてではなく、上のような意味合いでの痛い深い気遣いを出すということでもあるのかもしれないですね。そうだったらいいんですが。単に父と分かたれている人は他にも友近とかいるのですが、小田桐と千尋は特に父親の存在と不在が関ったキャラだったからなぁ。(加えて友近には兄ちゃんもいるし)


 ところで小田桐の『父さん』について前から思ってたのですが、構成作家であるところの『父さん』において『偽証罪』っていうのはなんかおかしいのではないか?だって偽証罪っていうのは偽の証しだろ?別に構成作家が隠蔽をしたところで、『証す』義務に反したことにはならないというか……要するに偽証罪って法廷関連のウソに適用されるものじゃないの?『証』ってのがおかしくない?
 なら何の罪にあたるのさ、と調べてみたら、やっぱり偽証罪とはちょっと違うみたいで、厳密には証拠隠滅罪にあたるんじゃないかと思います。まあこのことから『小田桐にとっては細けー事は別によくて父親がうそつきの名を被せられて切り捨てられたことだけが重要』とか考えるのは早計で、単にわかりやすさ的な問題かと思いますが。
 問題はその罪によって『父さん』がいつから『今も服役中だよ』なのか、というところにあって、こういうことを考えてると泣きたくなってくるのですが、証拠隠滅罪ってまた生々しいことに懲役は2年以下(罰金は20万以下)なんですよね。隠蔽の中身が業務上過失傷害であることを考えると重めであるし、ということはけっこう最近の話なんだよな……いやうそつきの罪でそんな爆発的な懲役をくらうことはないだろうから、考えなくてもけっこう最近の話であることは当たり前なんですが。それにしても……。

 小田桐の来歴を考えてみると、慶介兄さんと幼馴染であるということは別に転校生とかではなく(ツキコーの生徒の実家範囲と寮制度と平賀家の送り迎え規模にもよりますが)、フツーに港区の子であると考えられます。そうすると、小田桐は最初からツキコーにインしている可能性が高く、そして『父さん』の懲役が『2年以下』。あぁ……涙出てきたばか……。
ツキコー入学

父さんに刑罰

副会長就任

2年進級

皇帝コミュ
 であるという可能性が高いじゃないか……。どういうことだ……。
 しかも懲役期間前にも裁判期間とかあるわけだろう、それ以前にマスコミ関係の事件でしかも週刊誌に担ぎ出されたわけだろう、多分それでツキコーに入ることになったのだろうけど(おそらく月光館学園はワケアリの生徒を好条件で募集しています)、それが副会長。風紀委員を仕切らせてもらってる。もう……どうしたらいいのか……さっきから胸が……。
 そういうことから短期間で立ち直る仮面を電撃構成してその力を揮えているのだから、小田桐は(作中ではわかりにくいところで)ものすごく強い男なのだなと、その点共感と尊敬を超えて心服とか畏敬の心持ちにまでなります。そんな強いのにあの真っ直ぐさ。仮面でガチガチに鎧っていたとしても自分の求めるものを信じていく気概というか、こう言うと理解されないかもしれませんが、『素直さ』とか『人間愛』みたいなものを失っていない。

 わたしが感じている小田桐の強さとやさしさというのはそういうものなんだと思います。普通に見たら彼はやさしくなんかないものな(という普通の見方にもようやく最近気付いたのですが)。どうやら彼のような人間を優しい、居心地がいい、どこまでも優しく返してあげたい、と思うわたしは少数派らしいですね。
 彼は厳しくて嫌味で批判的で空気読みませんが、それは誠実さなんだとわたしは思います。彼の、自分の価値と世界のすべてに誠実なところが、わたしは好きです。タイプは違えど同じような不自由に苦しみ何かを捨てて開き直り、同じように怖くて寂しかった彼。わたしが何かしてあげることは当然できませんが、彼と孤独を同じくしたことを思えば生きていけるということも多々あると思います。
2009/03/13(Fri) 03:43:46
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