別にエロい絵を描くつもりはありませんでした(棒読み)
ふんどしの日なんだよ!バーロー!ふんどし切れまくってるけど、それはありがたく思えよ!
近いうちにと言っていた士道系(仮)構想のいろいろ。単純にあまりにも遠かった。
士道系(仮)はごらんのとおりタイトルすらつけられておらず、形式も何も決まってないので、ここでくっちゃべることで何か見えればと思っています。参考になりそうな情報がありましたらなんでもおしえてくださいませ。
この前の記事ではホントに企画概念しか言ってませんでしたのでテーマ的な話をします。「士道」とはなんなのか?
「小田桐ってなんていうか『士道』ってかんじだよね」
P3開始時点での小田桐もコミュMAX後の小田桐もあわせた感慨です。またの名を「侠気」「武士道」「騎士道」と書かれることもあります。マリモの感覚としては「士道」がいちばんしっくりくるかなという感じです。
士道はよく新撰組ものとかに出てくる言葉ですが、武士の男の正しき行動とその思想とをさします。ハラキリしたりします。「花は桜木人は武士」とは階級のベストさだけでなく散り際の潔いことを称えたものともいいます。「士道不覚悟」といえば怯惰であることや不義無礼、そのまま「覚悟無きこと」自体をにくむものです。
小田桐は義に忠実で常に潔くあろうとする男であると感じています。だいたいそうは思われてると思います。
それは彼の徳というよりは、強迫に近いものもある。周りの目をへんに内在化させた小田桐さんのおかしなかっこつけ。
士道も「周りの目をへんに内在化させたおかしなかっこつけ」の美学だということです。
「士道」というものができたのは歴史でもかなりあとのことです。武士の情けとかといったものとは違うものです。あれは戦士どうしのかっこいい戦いのマナーや敵への敬意であって、きわめて個人的気分的です。士道という「あるべき」を言うようになったのは、武士がヤクザでなくなり為政者やサラリーマンとなったとき、すなわち江戸前中期です。トクガワホールディングスの「企業理念」のようなものです。国の憲法ではなく。企業戦士たちが世にむけて正しきを顕し、世に貢献して世のまとまりを保つための栄誉ある理念なのですな。それまでの武士にそんなものはなかった。
よって士道というのは本来的に不自然なものなのです。戦士であった武士がサラリーマンになるときの理念なんですからね。で、それはそのまま「戦士であった男性の特性が支配者になるときの理念」つまり皇帝アルカナで示される人間的男性性と重なる。そこまで考えてやったわけではありませんが、要するに小田桐って士道だよなと思ったのはそういうことなんですよね。
きまぐれにつづきますかもしれないです
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