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2024/10/07(Mon) 01:17:54
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「おまえの傷ついた顔が好きだった」
「佐伯くん……からかわないでくれ」
 絵もセリフもウテナ黒薔薇編の樹璃&枝織回より。(しかしだいたいあってる)
 間合いを少し間違えた。


 このあとの樹璃さんの胸に頭を寄せる枝織の悪くてかわいい上目遣いも大好きです。一連の黒薔薇編アッー!は樹璃さんが一番エロいと思うんだよなあ。(つまり小田桐はどエロ)(またか)
 最近よくウテナ&アンシーではなく樹璃&枝織に小田主をたとえますが、ルカを含まなければ主にこのシーンについてすごくうちの小田桐と主人公くんだと思って好きなんですよね。どんだけえげつないシーンをチョイスしてんだって感じですが。ドロドロ感では屈指のシーンだと思います。
 全年齢仕様で書いていっている主小田主の長編の中にもややマズいシーンが一部既にあるのですが、そのシーンがこの樹璃さん黒薔薇アッー!に似ているなーと思うんですよね。まあここでの一番えげつないところである、枝織が樹璃さんの想いを知ってほくそえんだり認められなくてウガーってなったりするあたりについては、ないんですけど。
 そう言った時点で抽象的には何が起こるのか言ったようなものですが、マズさっていうのは具体だからな。抽象の段階でエロくてマズいならこの長編は存在自体マズいというか小田桐自体マズい。


 つまりうちのハルちゃんが屈折して甘ったるくぶっこわし、それに触れられて小田桐が自分の無意識に陵辱されるという抽象です。
 長編は皇帝コミュの対偶のこと(皇帝コミュはこの抽象では無意識が意識の剣に刺され切られてかたちをなし、意識が無意識に癒され満たされるということです)を起こそうと思ってるのでこのようなことになるのですが(陵辱と言う表現はだから刺され切られるという事実を意識の側から見た感情の言葉にすぎない)、同じように意識無意識であるところの樹璃さんと枝織にも同じことが起きたのかなぁ。
 うちの小田主に対応させて言えば、生徒会編は皇帝コミュで、黒薔薇編は長編(厳密に言えば長編の前半)のほうです。起こってることの抽象構図がね。だとしたら、生徒会編で無意識である枝織は意識である樹璃さんに刺され切られたのか?まあ、見直してみればそうだよな。枝織を切っているものが樹璃さんの優位性であるならば、樹璃回一回目はまるまる枝織をめった斬りにしている。なぜなら樹璃さんがカッコよく美しく強く気高いから。


 ここからは話がこのシーンから離れますが、樹璃&枝織とウテナ&アンシーの共通点はもっとわかりやすいところにもあるんじゃないかなと思ったのが、タイトルです。
 ウテナは一度は迷ってその薔薇を散らしますが、その後はずっと決闘に勝利し続けます。これはよくわかることです。でも、よく考えると、樹璃さんの薔薇も「一度も散っていない」。
 よく「実力では負けたことがない」と言われるアレですね。それにしても樹璃さんのオレンジ色の薔薇は花びらを散らすことなく、かたちを保ったまま地に落ちるばかり。これはちょっとした意味があるんじゃないかなと思っています。
 恋の虫毒によってのみ苦しみその花を落としもする、バカなほどまっすぐな薔薇が好きです。

 ……ところで乃木さんが耽美な小田桐が一度見てみたいって言ってたけど耽美ってこういうものでしょうか。なんかちがうか。どうもわたしの書く主小田主はいつも耽美エリアをニアミスっている気がするな、トーマの心臓とか言ったこともあったし。
 そもそも耽美というもののポイントを理解していない。
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2008/11/23(Sun) 01:15:11
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 ヤンデレ主人公くん@しおり。枝織は直接的にはルカに対してヤンデレているんだけど、あれは結局樹璃さんへのコンプレックスでもがいているからルカに執着するんであって、樹璃さんにヤンデレといえるのではないかな。ヤンツン?
 捻じ曲がった執着のあまりおまえって最低だな!とか小田桐に言ってしまう主人公もアリだと思う。どうもうちの主人公のヤンデレは甘口すぎるな。甘さで絞め殺すタイプだからいいんですが。


 まあいつもの主小田主ウテナパロの、ルカ樹璃枝織も主小田主っぽいよね、の解釈なわけですが、あれって、樹璃さん:枝織(同じようにウテナ:アンシー)でだいたい小田桐と主人公くんの身長差と考えていいのかなと思ってますが、そう考えるとその樹璃さんすら胸に軽く抱くルカはどんだけ巨人なのかと。ウテナの男どもはムチャな頭身に定評があります。
 それにしても、わたしは自分の身長がミニなので、身長差については常にちっこいほうからの見方しかわからないのですが、上記の樹璃:枝織=小田主ということを採用すると小田桐から主人公くんはこれぐらいな感じに見えるってことですよね、それはかわいい!!それはかわいいぞ!!うわー燃えてきた!

 ときどき、ドリームであってもそうでなくっても、自分が普通感情移入しているほうとは別のほうに移入してみると、すごいキュンキュンします。なんというナルシスト。真の意味でのナルシスト。
 そう考えると、パラレルに、わたしは樹璃回を見る場合は枝織に感情移入しているのかなー、と意外なことに気付きました。樹璃さんのようになりたいけど、やっぱりわたしは枝織ビッチなんだな。だから樹璃さんが枝織を好きなことを思うと嬉しくも暗い気持ちになるんだな。
 でも樹璃さんが枝織を好きなことはどうしようもないし、そうわからないことでもないと思う。そして樹璃さんがサターンのゲームのボスであるところの千種さんと同じような境遇でありながらしかし枝織を同じ女として憎まず、大切にしたいと願うことは、とても格好良くて強いことだと思う。
 しかしあの樹璃さんの思いがあの枝織にどう叶えばいいのか皆目わからなくもある。

 そしてちょっと話はそれるがその千種さんの敗因は非お姫様な女王様だったことではなく、断固王子様の愛を求めたことなのだと思います。王子様と結ばれることにこだわって仕方ねえっすよ、人類総王子様化っすよやっぱ、というのが、ウテナです。
 樹璃さんは劇場版では枝織の束縛にこたえて彼女の王子様を演じていますが、結局樹璃さんは王子様になれるのでしょうか。それも、枝織の?そして、もしそうだったとしても、枝織も樹理さんの王子様たることができるのでしょうか。
 樹璃さんが光で枝織がその影であるならば、それはふたりがずっとそばで苦しみ続ければやがてかなうことだと思います。ウテナとアンシーのように。ペルソナ4の覚醒ペルソナのように。
 また、ルカは樹璃さんの王子様になれたのでしょうか?
 ルカの生き方は樹璃さんを救うことができたのでしょうか?
 空より淡き瑠璃色の、は、神回のようでいて、実はウテナの主題から見て難しいモチーフが多い。というか樹璃さんがより大人になれたのかどうかという命題は、他の生徒会メンバーよりはっきりしないところがある。
 あのふたりの関係は結局枝織次第という感じもあるなあ。樹璃さんが突き放したりテンパったりせずに枝織に接することができるようになる、という課題もありますが。うーん、やっぱり樹璃さんと枝織はわたしの書こうとする小田桐と主人公くんにかなり近いものがあるなぁ。
2008/11/21(Fri) 01:15:52
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 前述のとおりわたしは「小田桐秀利」との関係性は皇帝コミュ終了後、と思っているので、あまり「風紀委員の」小田桐とラブるような画は描かないのですが、小田桐はそここそが成人向け要素だよなぁ、とも思います。
 考えてもみろよ……属性的には女帝というより「女の皇帝」であったところの美鶴さんがあそこまでどエロ萌えキャラなのだ、もしP3コミュが寓意の枠を飛び越え小田桐が小田桐エリちゃんであったりなどしたら(わたしの中で「秀利」の女性名は「英利」)すっげもう、成人向け妄想萌えキャラをも通り越してP3はエロゲーになっていたでしょうよ。それほどの逸材だ小田桐は。そしてその逸材を「目が死んでるなんかやなかんじの男」という隠れ蓑にインした@ラスの仕事は神と言うほかない。


 前置きが長くなりましたが無事日録を書き終え、小田主本読んでしまいました。 内容には触れずおおむねの感想を。
 まんが+ゲスト小説2本+えろまんが という構成だったわけですが、まずね、小田桐ってやっぱかわいく描かなくても究極可愛いやつなんだなって。彼のように男というものをプレーンに突き詰めていくと泣けてくるほどかわいい、まあでもそれは必然的に、女性性の立場から見ないとわからないところではあるのですが。
 うちの小田桐と違うなーというところもものすごく感じ入って萌えるところでありまして、まずやきもちやきをほんのりとでも自覚する小田桐っていいね。そうだよな皇帝なんだからほんのりやきもちやきのロマンチストでしかるべきだよな!うちの小田桐はそういうところ、ちょっとでも行動に出してしまうとすげー自省するうえに基本的に鷹揚で独占欲のピントがずれてるので、あんまりないんですよね。逆にうちの主人公ときたら貞操観念希薄のようでいて絵に描いたような、それで一本エロ書けそうな嫉妬行為をするのですが……。
 あと主人公のこと好きな小田桐っていいですね。そう言うとうちのは好きじゃないんか、って感じですが、そうではなく、うちの小田桐はいくら主人公くんがスキスキ言ってるのを認めても自分が思ってることは断固として認めず友達を貫こうとするので、こちら(という言い方もいかがなものか)のこと好きっぽい小田桐はすげー新鮮でしたね。特にゲスト小説一本目のほうの小田桐、気付いて求められても避けて言わないとか、好きだと言われても気持ちは聞こえないふりでいつか元に戻れると目をそらすとか、どんだけカッコいいんだ馬鹿ー!
 たとえその甘い気持ちがバレッバレであろうとも、頑なに口を閉ざし認めることを許さない誇り高さというのは、ときに救いでさえある、と思います。そういう意味でうちの小田桐と共通する萌えでもあったのですが、ただそういう誇りを保つにしても、その想いもこっちの想いも忘れてほしくないですよね。認めろコラァ!とまではやらなくても、忘れさせないようにスキスキ光線を出し続けるのがうちの主人公、ということになるのでしょうかね。いや、「無理して忘れるとかやめろ」と指令を出すのが小田桐だからまた違うのか。うちの小田桐は主人公くんにガチンコ友情であるがゆえにかえって変なことしちゃってる、という感じですか。

 でエロなんですが一言で言うといかにわたしのエロがしつこすぎるか判明したよね。
 わかっている、締め切りまで時間がなかったから短いという理由はわかっている、しかし時間があったとしても普通すっきり終わるものだというオーラも伝わってくる。わたしのエロはすんげぇえぇえしつこい!!「年齢制限突入~本番までで10ページは描かなくちゃかな!」「本番入ってから最低5ページは要るな!」「メインエロ以外にも匂わせる部分は要るな!」とか思っている。小説ですら吐くほどしつこいのにマンガにできるはずがないよ!
 あとこれはエロ以外でもそんな感じはあるのですが、予想外にうちの主人公くんと似た主人公くんでよかったなーと思います。この下品かわいい感じたまらん!(そしてうちの子よりほよっとしててカワイイ)構図的にわたしが最初に描いた小田主えろ絵ともろかぶりだったのもなんかガッツポーズでした。そうだよね、生徒会室で小田主ときたらまずそれだよね。
 いろいろと、「客観的に見たらそうだよなそうなるよな」ということでも、自分的には「その発想はなかった!」てなるようなこともあって、小田桐に対してはほんとにわたしは主人公くん視点に移入しててまともな目で見えてねーよな、と思われました。

 読んでみての自分の創作に対する豊富としては、やはりうちはシチュエーション的には至極健全リリカルにつきる(精神的には病気)ので、いっちょ制服エロぐらいやるべきなのかな、と。カップリング50質問でも相手への要望の項でハルが「今こそ高校の制服着たままで思う存分」とか言ってるので、ぜひ叶えましょう。(叶えましょうも何もハルの要望ってことは自分の要望みたいなもんじゃねーか)
 やっぱり良くも悪くもわたしの書くものにはBLらしさが足りんですね。BL独特のあの開き直ったネタ感を前提条件にする感じがないです。やっぱ樹璃さんのすごい縦ロールみたいな感じで、そういうネタを前提にすることで強烈な感動を生むという手法もBLの本質に近いものだと思うので、ぜひそういうスキルも使えるようになってみたいものです。でもわたしの書くものはなんであろうとすごくマジに移入したものばかりだから、創作の目的から言って不可能なことなのかもしれませんけどね……。
2008/11/08(Sat) 19:50:32
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 実は今回で初めてナルト描いたんだがうろおぼえだ。新衣装のほうが覚えやすいからいいけどね。

 実習期間とりあえず終わったんだぜ。
 なんか、副校長先生が「本校の実習は全国でも5本の指に入るんだぜ」とおっしゃるほどの先生方の熱心さに比例するキツさもきっとあっただろうに(他人事)なぜか今までで一番「終わったよっしゃぁぁああぁあ!!」ていう感慨がない、不思議な幕引きです……。昨日徹夜でがんばっても日録書けなくてやりきった感が薄いからなのかな。
 徹夜で何をやっていたかというと主に図工の細かい作業の解説をするための「でっかいバージョン」を太陽紙で作っていたのですがそれはよく考えてみたら今日の授業ではまだ行くべくもない段階だったんだぜ。あほだな!しかしやりきってそうなのだからある程度仕方ない……。
 あとみんなへのお手紙として画用紙に短文書いてその横にナルトとキュアドリームをオリジナル構図で描きましたがそれは10分ぐらいで終わったから罪はないだろう……でも先生は「こんなもんに時間かけくさって日録書きやがってください」と思ってらっしゃるやもしれず、うぐぐぐぐ……。

 わたしは子ども集団をいい子たち、と形容するのはあまり好きではないのですが、とてもかわいくて大事にしたくなる種の集まりだったなぁと思います。子どもってよく見ればみんなそうなんですけど。低学年というのはいろいろ困難もありますが、そういうところの輝きが特に実感できるところがいいとこですね。

 最終的にナルトとプリキュア描きましたが、2週目カゼひいてさすがに鬼ごっこをやり続けるのは辛くなってきた苦し紛れの「お絵かき」が後半やたらと人気で順番待ちが消化できぬまま終わる、という予想外の展開もありました。やはり低学年の子というのは遠慮というものを知らぬな!一人の子に6枚くらい描いたってのもあるぞ!「わたし最後でいい」と言った子の配慮に乾杯。マジえらい。なかなか言えない。
 ただご存知のとおりわたしの絵柄というのはよいこのみなさんに公開してザッツナイス、なものでは絶対にないわけで、絵柄の変更が求められてくるわけですよね。よく子供向けの絵描きぬいたと思うよ、最大限に目大きくしたり丸い表現を多用したよ。わたしは昔からあまりかわいい感じの絵を描く子じゃなかったので、わたしが子供の頃も描かんし好きでもないような絵柄に初挑戦したぜ……。男の子にも喜んでもらえてよかったよ。

 あと今日の給食はぶっちゃけ嫌いじゃないもののほうが圧倒的少数だったがスゲーがんばって食べきった。納豆なんてここ5年は食ってねーよ!納豆とサトイモのっぺって、一食の中にどれだけ粘りを求める気なんだよ!くちぬるぬるして飲み込めないよ!

 教育のみんな!メシ喰おうぜメシ!焼肉行こうぜ!もう明日とか行こうぜ!
 疲れを癒したいというよりみんなと会いたいそして肉喰いたい。


 というわけで、これから日録を書き総合反省の構成ぐらい考えるわけですが……。
 忘れるべくもないのが、『小田主本届いてる』という事実です。
 この二週間、うまいクレープとともに、わたしを何度となく死の淵(誇張)から引きずり上げた救世主。しかしなんというか、こんなに普通な心持ちなのにサラッと読んでいいものか?もっと絶望のどん底をケアせんば、とかそういう、ここぞというときにこそ読むべきなのではないか?(わたしは性欲に救済を求めすぎです)
 要するに残りの仕事をしながらも小田主本をいまだにもったいぶってるということだ!もうまるまる2週間オアズケったのにわたしはとんだMだぜ!
 だってマイナーカップリングの年齢制限本はデスノートだから。
 まあウダウダ言いながら、あらかた片付いたら十中八九開封すると思います。
2008/11/07(Fri) 23:11:35
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 就職活動前にウゼェ髪を常識的にしてもらったお礼とばかりに小田桐のハネ毛を消失させた主人公。

 というわけで実習半分が終了です。実習に行くと毎度思うのですが、小田桐の政治家→教師という志向の転換は極端というほかないな……。つまり全く同じことがわたしにもいえるわけですけど。理屈としてはすごく正しい選択のようだけど、それ以前に人には向き不向きがあるからねー。
 そんなわけでもし小田桐が結局教職に就かなかったとしても、あの決意を裏切ったことになるわけではない、などと、自分への言い訳も兼ねて思います。あれは「そういう方向を向けた成長」を表すキーワードにすぎない。そして「これからそういう成長をしていく」というベクトル表示。わたしはあの決意からそういう成長をしてきて、そしてそれをふまえて教職を貫くか否かを考えているわけです。


 で、実習のストレス解消として昨日オカンと電話でしゃべくったのですが、先月29日めでたく彼女50の大台に乗りまして、わたしのほうがショックを受けました。あの美しく気高く自由で才気豊かな女がもう50代で気が弱くなっているだと……。
 そういうわけで気が弱くなっているようで、わたしを独り立ちさせたくない!離したくない!という気持ちがますます強まってやや不健全な域までに達していまして、わたしが「オカンから自立できるようにしなくちゃね」と言い出した途端やだいやだいと泣き言モードでした。彼女もわたしもひとりっこだからなぁ、不安だよなぁ、結婚の選択は間違いムードたっぷりだしなぁ。
 でもなんにしてもわたしはそれを言い訳にせず自立できる力をつけるべきなんですよね。オカンの孤独を支えてあまりある力を持たなければ。上述のようにオカンはわたしにとって美しく気高く自由で才気豊かな憧れの人であったので、オカンが子離れする気がないのと同じく、実質的にわたしも親離れできてないのですよね。
 今だからわかりますが、親を嫌う、という経験をもたない子の不幸というものも存在するのですね。
 健全には、親を嫌い、体制を嫌い、しかしそれらに個人として折り合えてきた人が親離れというエネルギーをもつのだと思うんですよね。そしてやがて親が気弱なひとりの老人になったときにも、個人として折り合えているならば、「あの強かった親が……!?」とショックを受けずにいられる。
 彼女は「これだから外に出すのは嫌だったんだ、すぐに一人で生きてけるみたいなこと言い出すんだから」と呟いてましたが、今のわたしがチョーシに乗ってるのも事実、しかし一人で生きていける「ようにならなければならない」のも事実です。
 そしてわたしが大人になろうとすることを恨むのなら、オカンは小田桐を恨まにゃならんよな、と、なんとなく思いました。観月はわたしが「わたし」になるのを幇助し、小田桐はわたしが「社会」を志向するのを幇助した、両方ともわたし自身の切り出しなのだ。
2008/11/01(Sat) 18:07:34
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