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2024/10/07(Mon) 02:25:06

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 もうおまえのせいにしたりしない

 また手練習(そして懲りずにガサツ)。はなっから雰囲気だけ描ければいいという理想ですがやはり描きたいものを描くのはむずかしいなあ。ていうかハルの左手が膝ついてケツ触ってるようにしか見えないうえに分け目まで間違えた。前者はわたしの変態マインドのせいなのでいかんともしがたいですが後者については左右反転すりゃいいだけの話なのですが、やっぱこっちの向きのほうが好きなんだよね。
 なんだかんだ言ってこの構図(右から光、自キャラは左向き)多いです。左と言う方向は過去を象徴してるので後ろ向きなわたしキャラたちにはちょうどいいかなーと。あとこのパソコンに向かうとき配置の関係でやや左向きにナナメって座っているのもあります。左向きって落ち着く。

 ちょっと前からノートで細々と長編後の主小田主の短編を書いているのですが、書いてみたらテーマが風に立つの小田桐視点の焼き直しみたいになってまして、でも当初書きたかったものとは変わってませんで、まだ風に立つの全貌がよくわかってなかった書き始めのころからもうぼんやりと感じ取ってはいたんだなーとびっくりしました。
 でも自分の考えの一貫性を発見できたのはいいんだけど、これで短編が一本(ネタかぶりで)オジャンかと思うとげんなりです。主題はやわらかいお話ですがエロネタ的にはけっこうポイント入ってたんですが。チッ、一本の話に主小田要素も小田主要素もしっかり入っているうえにインザカーだったのに!わーん!今更主題変更などできないがどうにかネタを救出したい……。
 くやしいのでその短編は一時置いておく。

 昨日の日記を書いたあとに知って驚いたんですが、ユングのタロット解釈によると、アニムスは魔術師アルカナらしいっすね。ハルのアルカナはデフォルトの愚者・宇宙以外では魔術師としているので納得しました。
 昨日もちらっと出した原型の話でいくと、『皇帝』はあんまり大きく扱われてないけど『グレートマザー』に対する『グレートファザー』の原型に対応するものだよね。扱いが小さい代わりに『トリックスター』原型と対にして『王と道化』の原型もあるんだけど。というふうに原型の観点から見ると、うちのハルのキャラ造形は知らんうちに3つもの角度から小田桐に対しているというすごいことになってるな。すなわち、
『魔術師』=アニムス(内なる男性性) 対 グレートファザー(表出する父性)=『皇帝』、
『宇宙』=グレートマザー(ほんとは『女帝』) 対 グレートファザー=『皇帝』、
『愚者』=道化 対 王=『皇帝』
 という、まあ最後のは一般的エンペラー×フール解釈であってうちのハルにはそう適用されないんですが。ちなみにグレートマザーのタロットは上にも注したようにほんとはもちろん『女帝』なんですが、さんざんアンシーアンシーと言っているようにハルのユニバースはすごくいい意味でも悪い意味でも受容的な、グレートマザー的なものとして書いているので。そうなんだよこうやってつまびらかにしてしまうとちょっと解釈のズレがあるんだけども、まあここらへんはグレートマザー原型→アンシー→ハルとスライドしてズレているような感じ。
 むしろそういう可塑流動的に他人に対応してしまうハルの性質自体を問題視する、という話だから不自然さは歓迎ですが。可塑流動自体はいいことでもあるんだけど、他人に対応していくらでも変わることを是認してさらには『留まることを拒む』性質の限界を超える。そういう意味でユニバース逆位置であり、アンシーな話なのね。

 アニムス=魔術師アルカナの話からはズレましたが、それを知ってみるとわたしが自分の男部分を魔術師アルカナ的としていたのは実はわたしに限ったことじゃなくて女性に共通したことなのか?という疑問が湧いてきます。普通女性の皆さんはわたしほど常に自分の中の男面を意識したりしてないと思いますが、どうなんでしょ?

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2007/12/10(Mon) 16:05:45

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 好きな人に否定されるのは悲しい、けれど
 おまえに甘えたくなってしまう、けれど
 けれどと言って済まそうとするおれの怠惰なのか

 わたしの大好きな冬っぽい透明感を出そうとしたんですが難しいですね。というか相変わらずの手のがさつぶり……本当にわたしにBLが書けるのか……。

 自分の考え方をどうすべきかについての思考は果てが無くて、はまりこむと気持ち悪いですね。こういうのにはまって苦しむあたりがわたしはつくづく男の馬鹿を持っているなと思うのですが。最近それがさらに増量してきたような気がします。女の子に相談しても『考えすぎです』と一蹴されるし、かと言って男と男ははじき合うものだからアイデンティティの問題をもとよりわかりあってどうにかすることなどできず、やっぱ男って孤独かつ馬鹿だなぁ……とわたしの中の女は呆れ、男はしかしどうすることもできずほっといてくれ、と拗ねるわけだ。
 その女の『考えすぎです』にこもった愛情を勇気を出して認めて受け入れることができるかできないかで、事実は何も変わらなくても世界が何なのかが変わるのではないかと、ていうかむしろ認めやがれ、ぐらいにわたしは女でもあるので思うのですが、そうは言ってもわかっててもできるものじゃないわけで、とにかく怯惰だなぁ……。
 わたしの惹かれる、しかしすっげぇ嫌いなタイプ(観月とは違う意味で)の男というのはなんだかんだ言ってわたしの中の男部分に似たもんなんだなぁと思います。アニムス?でもやっぱり現実的な想いとしてそういう男とはあまりいたくないなぁ。そういう男を積極的に愛せたことはよく考えたら妄想の中ですら一度もない。やっぱり結局破綻してるのだと思います。

 そういう意味でも、わたしの中で小田桐は『カッコいい男性性』、ハルは『キモい男性性』を担当してるのだなーとつくづく感じます。キモいというか、現実の男性的意識無意識の、イラッとくるところを重点的に使ってます、という感じ。そうか……わたし=ハル=キモい男性性ということはやっぱわたしはわたしのアニムスにイラッときてるんだな……。
 小田桐の男性性はもはや『父性』だから、負でも正でもわたしには美しく見えるんだと思います。男性性のほうがむしろ派生的なもので、父性は純化された(というか原型的な)多く理想として見られるような、概念的には非現実的なものだからなあ。そもそも『父』は自分にとって必ず自分じゃない『父』をさすわけだから、自分の現実じゃなくて他人に見るもの(=非現実)であるのは当たり前のことともいえるよね。もちろん、それのもつ『性質』をそなえている人間というのは、『父』が他者でしかありえないということとは別問題として存在するわけだけど。
 まあとにかく、小田桐がああいうふうだということ自体は非現実的なことでもなんでもないんだけど、彼の持つ『父性』という性質は少なくとも『男性性』のように自覚される性質じゃない。だから父性的・母性的な人というのは、『そう見えてるだけ』というのでなければ多分に天然が入っているのだろうなあ。そう言えば女帝アルカナの美鶴さんも相当の天然だったけど、彼女は女帝アルカナの表現として作られているとは言えないキャラなので意味合いが違うのかな。

 えーと、男性性の話で長くなりましたが、今日はそういえば彼らの『弱さを持たぬ強さ』と『弱さを知る強さ』についてのウテナ的対比を書こうとしていた気がします。全然違う話じゃねーか!いやでも、そこは、天然に美しい小田桐と小汚いから美しいハルということで今回の話とも接続してくるわけで、(嘘ではないが今考えた言い訳)
 簡単に書くとウテナは自分が強いので人の弱さを知らず理解せずためらいもなく理想を信じることができ、アンシーは心の闇を知り小動物や植物といったナイーブなものを支配ではなく心通わせることができるという、物語の中でふたりが交流させて完全になるこのふたつの強さ、それなんて主小田主?と言いたかったわけです。
 ただしウテナと順番は逆で、ハル=アンシーが小田桐=ウテナをすくいあげたのちに小田桐がハルを、というふうになってますけど。いや、逆でもないのかな……。ウテナが王子様になったのは苦しむアンシーを見せられたときだしね。意味合い的にはズレるけど。

2007/12/09(Sun) 17:30:35

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 懲りずに実はウテナパロ(なので脱いでいるのはもはや仕様です)。もう一枚ウテナパロの絵案があるんだけど、劇場版の例のエロシーン(否定できない)のアレをもとにしてるのでやはり脱いでる。どうした自分……そんなに脱がせたいか……。
 作中星空の体で描かれたのはあきおだけど、アンシーの黒い腕と字で書いたようにハルのユニバースのイメージ。実際こういう絵あったしね。(P3にじゃないよウテナにだよ)

 一応話題としては1のつづきだよ

 長編のプロットをまじめに考えつつ近代文学的に勉強する気になったおぼえがき
 1と同じく主人公くん=ゲーム中で明らかに示された共通認識 ハル=うちの設定


・王子様の変容・あきおからウテナへ
 初期皇帝コミュでの上で言う逆位置小田桐は、気高さ=信じた理想に挫折してそれを綺麗事とし、権力によって弱者を守る=支配しようとすることで自分を守る鳳暁生つまり『よくねえ男性性』の象徴だったわけだ。それがさんざん言っているようにやがてウテナとしての様相を呈すっていうのは別に変なことじゃなくて、暁生は『閉じた古い価値』、ウテナは最終的に『新しい自分(の気高さ)』、どちらもアンシーのものの見方を象徴してるんだよな。
 まあ少女革命ウテナはアンシーを主人公にした構造だからこれは裏的な捉え方なんだけど、ウテナは『王子様は堕ちずに気高さを掴みました』という、男性性の昇華でもあったんじゃないかなと思うわけです。理想への挫折から新しい価値に立ち上がった小田桐はその時点でひとつの『世界の果て』を超えている。
 小田桐にとってのディオスはパパであり、傷ついたそこにもう一度同じ星を示したディオスの影が主人公くんであり、『だったら私が王子様になって助ける』=救われたのだから自分も救い手にならんとする気高さというのが彼の言う教師の道なわけだ……。遠大……あの一生君を守る的発言は本当に遠大……。遠大で偉大……。

・ディオスもしくは優秀なアンシー
 上の小田桐の項で述べたように、主人公くんは小田桐に再び気高さを示したディオス。そして全人類の罪を負って磔刑になるメサイアはアンシーとの共通項も多いけど、救い手であり救われた者たちがまた救い手になることで救われる(ある意味の復活を遂げる)ことができる、という人の気高さ=ディオス。
 こういう主人公くんのまあ見た感じはそりゃちょっとアンシーライクだけども、やっぱディオスじゃん?な性質をふまえて、なおうちのハルがとてもアンシーであるというのは、その一見見えにくいが確実に短所というか成長過程で不全であるところの、あまりの受動性。これが小田桐のあきお=『よくねえ男性性』に対応するハルのアンシー(というか薔薇の花嫁)=『よくねえ女性性』なわけだ。暁生とアンシーの関係のダメさはコミュ初期の、小田桐が主人公くんを無意識に上から試すような気であったこと、ハルがそれに評価されようと緊張を抱いたことに対応すると思う。
 薔薇の花嫁=『よくねえ女性性』というのは、まあここでの狭義でとると、個人としての意志を望まれず、自分の選択を放棄することでいっさいの責任を負わず、自分の外部の価値に従属することでの庇護に甘んじる、ということ。
 ハルは博愛・受容的で自己が薄く(薄い『ことにしている』という側面もある)他を廃しときに否定しても貫きたい自分が、個人レベルでは無いに等しい。アンシーよりある意味たちが悪いのは、それでいて頼まれたことなら責任を持ってこなせるというところ。庇護されなくても立てる『能力』はある。でも自分のための『意志』を持てない。
 それはとてもひ弱なことなんだよね。だから『意志』を示すウテナこと小田桐を見て、アバさまいわく『答を決するその勇気』としてその姿を内在化していく(つまり皇帝コミュポイントである)。ウテナと違うのは、その内在化して気高さを教えたその人に最初の『意志』を捧げて、さらに小田桐の内在化であった『意志』を自分自身のものに変容させていくということなんだ。
 ちなみに小田桐の初期をコミュ初期のアルカナ逆位置で説明したのをハルにも適用すると、宇宙逆位置の沈滞、エネルギー欠如、見透しの悪さ、ってとこ。

2007/12/07(Fri) 00:22:16

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 磔刑のメサイアと真なる救い主
 長編のプロットをまじめに考えつつ近代文学的に勉強する気になったおぼえがき
 主人公くん=ゲーム中で明らかに示された共通認識 ハル=うちの設定

・メガテンシリーズのテーマのひとつは『神話の再現』
 メガテンで起こっている事件の説明に良く使われるのは『再現』によって集合無意識に作用してその力を引き出したというもの。『神話』は集合無意識の寓話であり、扉であり、定義付ける鎖で、『再現』はそのよみとき演じなおし、鍵。『神話の再現』は『集合無意識の扉の鍵(を開ける)』。
 またペルソナシリーズで言えば罪罰なんかでは特に顕著なことに、ペルソナ=無意識の力(3においては≒シャドウと明言されてる。ユング的な感じ)が『個人の神話』つまり一柱の神をその人物が再現していたりもする。これは神話が無意識を安全に表出させるためのアンカーというか、オブラートというか、『踏まえる伝統的な手順』であるということをよく表してる。そんなようなことを『偶像の欠片』依頼のときにエリザベスも言ってたよね。(P3やりこみすぎだ自分)
 同じように心理学的要素を含む物語には神話をなぞることや神話の引用が多く見られ、というか『それ自体が神話的』といえると思う。見た目としてセカイ系ではあるけど、それは物語世界自体が寓意だから当たり前のことなわけで、セカイ系じゃなくて内面系。ぼくの、あるいはきみとぼくの世界で動く『セカイ』は、実際の世界のことじゃなくてあくまで自分たちの成長の範囲の世界でしかないというヒキで見れば当たり前のことを、話の背骨にしてる。
 ウテナなんかは自らのセカイ系から脱するということをテーマとしたセカイ系なわけだ。

・気高さと主小田主(象徴的には小田主か)
 小田桐にとっては父の言葉(“真心だ”)『きらめく理想』
 ハルにとっては母の自由(もしくは知らぬ父なるもの)『自分だけの意志』
 どちらも喪ったものであり、勇気の多面。小田桐においては抱き続けてはいるが傷つけられ否定したもの、ハルにおいてはいまだ持たず他者に見出し憧れるもの。
 ふたりの求める(というより手に入れていく)気高さは違う面であり、相手はそれを気高さとも知らず自然に持っている性質である。それどころかときにそれはゆきすぎ短所として発露する。これはコミュシステム的に言うと、初期のアルカナの逆位置状態と見ることができる。つまり皇帝コミュでいう、傲慢、排他的正義、支配者の孤独。対立するものがいまだ統合されず、偏った価値から抜け出すことが出来ない状態。
 取り戻された新しいものは、小田桐にとっては人を信頼するということであり、主人公くんにとってはゲーム時点ではみずからの内に小田桐の(みんなの)声を聴くということであり、そこから長編のテーマとして、それを真の関係・自立へ向かわせていく。

2007/12/04(Tue) 20:13:47

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「健二!しょ、『処刑』って、何を言えば免れられると思う!?」
「処刑ーーー!?!?」
 ていう夢を見た。友近とどこか一室で遊んでいて、「おまえ今日生徒会いいのかー?」「ああうん、今日は用事の時に小田桐が呼びに来てくれるらしいから」「そっか。てかおまえ風紀と仲いいよなー、珍しいの」「えへへー」とか言っていると、入り口方向から「佐伯いるかー、会長がいらっしゃってんだけどー」と呼び出しがあり、実は美鶴さんときまずいプチ修羅場中でほとぼりを冷まそうとしていたおれは上記のように親友を盾に。
 なんで!?小田桐は!?ていうかこれはそもそも生徒会の用事呼び出しだと信じていいのか!?信じたところで、生徒会室までの道のりで処刑されない保障は!?ぶ、ブフダインは怖い、今ランダつけてるからモロ氷結で死ねる、と恐怖しつつ起きました。
 リアルに迫ってきてるとあんな怖いもんなんだな美鶴さんて。すげーやな汗かいた。残念な展開なうえ恐怖のあまり起きましたが、小田桐が出てきたら出てきたで興奮のあまり起きてしまう(マジで)のでまだ健二に抱きつけただけ得したかな……。でもキモいし!と叫ばれるという完全男認識。中の人はおまえの大好きな年上女だぞ、と気付くのに今までかかりました。


 ところで今次回更新準備としてハルちゃんの詳細ページを用意していまして、主人公さんに50自己紹介だけだとちょっと寂しいので思い切って面白いことにしてみようかとカップリングで50の質問をチョコチョコやっています。100の質問は多くて一度しか答えきれたことがないうえに答えづらい問いも多いので50質。あ、100の質問のエロなしバージョンじゃありませんよ、エロなしで30エロありで50というやつ。(要するに今答えているのはエロ対応)
 まあでもまだ8番ぐらいなのでまだまだ普通ですが。で、今書き終わった7番が見直してみたらすごいんだ……。相手の第一印象がその後どのように変わっていったか、という、要するに出会いから今までの気持ちを述べよ、と言っているに等しい問いなのですが、これ書いて確信した、主小田主には理想の男女関係像がある。いや、男女じゃなくて男男なのですが、そうじゃなくて男性性と女性性という意味で。お互いに思ってることが、違うのにぴったりと噛み合って、逆の方向から同時に報われている。してほしいことが叶えられるのではなく、してあげたかったことが相手を幸せにし、その幸せからただ自然にあふれただけの気持ちの発露が自分を信じられないほど幸せにする、ということを、意識もせず交互にやり合ってる。
 ハルが小田桐のためになりたいと思って接したことが小田桐の心を解いて、それを感謝してハルを信じた小田桐の言葉がハルの宝物になって、それを受け取ったハルの幸せな表情が小田桐の信じた勇気のこれ以上ないレスポンスになって、という、びっくりするような響き合い。たくさんもらったと思っていても、自分が何か相手にあげたわけじゃない。ただそうしたいと思ったことをする、それが響いていく。同じであることとか通じ合って理解することとかを求めないということは一方的ではあるけども、それは見返りを求めないということだから、極端な言い方をすれば一方的×2の方向が概ね合っている状態が一番。

 まあ50質問は先を見るとこのへんが一番美しくていいんですけどね。エロのひそかな変態ぶりは言うに及ばず、この後の『告白の言葉をどうぞ』でもハルの暴発ぶりが炸裂するからな。いや、爆発力のある告白の文句であるとかそういう意味じゃない。あまりにウッカリ準備もなく言ってしまったために二人ともまともに覚えてないんだ。しかもその前の問いが『(付き合った)その時、告白はどちらから?』というのなのですが、明らかにウッカリ口すべらしたときは『その時』よりだいぶ以前だこの野郎!!OKされるまでにけっこうスパンがあんだよ!!この質問BL向けなのになんでそんな告白→付き合うが短い感覚なんだよ!葛藤しろよおまえら!いいけど!

2007/12/02(Sun) 17:32:46
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