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2024/07/08(Mon) 15:57:50
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ててなしごども


 ててなしご(父無児)ってパソ変換で出ないんだね、ビビッた。みなしご(孤児)は出るのに。

 主人公くんは父どころか母もいませんが、生徒会メンバーは(最終的に)何らかの形で父親とドカンと分かたれている状態になるのだなぁと思うと、ドラマCDに聞きごたえが出るような気がします。まだ後半聞いてないけど。後半にも小田桐が出るとかどんだけ……。
 もしかしたらみつるさんがお父様を亡くしたお話に小田桐と千尋がセットで出てくるのは単なる日常界との接点としてではなく、上のような意味合いでの痛い深い気遣いを出すということでもあるのかもしれないですね。そうだったらいいんですが。単に父と分かたれている人は他にも友近とかいるのですが、小田桐と千尋は特に父親の存在と不在が関ったキャラだったからなぁ。(加えて友近には兄ちゃんもいるし)


 ところで小田桐の『父さん』について前から思ってたのですが、構成作家であるところの『父さん』において『偽証罪』っていうのはなんかおかしいのではないか?だって偽証罪っていうのは偽の証しだろ?別に構成作家が隠蔽をしたところで、『証す』義務に反したことにはならないというか……要するに偽証罪って法廷関連のウソに適用されるものじゃないの?『証』ってのがおかしくない?
 なら何の罪にあたるのさ、と調べてみたら、やっぱり偽証罪とはちょっと違うみたいで、厳密には証拠隠滅罪にあたるんじゃないかと思います。まあこのことから『小田桐にとっては細けー事は別によくて父親がうそつきの名を被せられて切り捨てられたことだけが重要』とか考えるのは早計で、単にわかりやすさ的な問題かと思いますが。
 問題はその罪によって『父さん』がいつから『今も服役中だよ』なのか、というところにあって、こういうことを考えてると泣きたくなってくるのですが、証拠隠滅罪ってまた生々しいことに懲役は2年以下(罰金は20万以下)なんですよね。隠蔽の中身が業務上過失傷害であることを考えると重めであるし、ということはけっこう最近の話なんだよな……いやうそつきの罪でそんな爆発的な懲役をくらうことはないだろうから、考えなくてもけっこう最近の話であることは当たり前なんですが。それにしても……。

 小田桐の来歴を考えてみると、慶介兄さんと幼馴染であるということは別に転校生とかではなく(ツキコーの生徒の実家範囲と寮制度と平賀家の送り迎え規模にもよりますが)、フツーに港区の子であると考えられます。そうすると、小田桐は最初からツキコーにインしている可能性が高く、そして『父さん』の懲役が『2年以下』。あぁ……涙出てきたばか……。
ツキコー入学

父さんに刑罰

副会長就任

2年進級

皇帝コミュ
 であるという可能性が高いじゃないか……。どういうことだ……。
 しかも懲役期間前にも裁判期間とかあるわけだろう、それ以前にマスコミ関係の事件でしかも週刊誌に担ぎ出されたわけだろう、多分それでツキコーに入ることになったのだろうけど(おそらく月光館学園はワケアリの生徒を好条件で募集しています)、それが副会長。風紀委員を仕切らせてもらってる。もう……どうしたらいいのか……さっきから胸が……。
 そういうことから短期間で立ち直る仮面を電撃構成してその力を揮えているのだから、小田桐は(作中ではわかりにくいところで)ものすごく強い男なのだなと、その点共感と尊敬を超えて心服とか畏敬の心持ちにまでなります。そんな強いのにあの真っ直ぐさ。仮面でガチガチに鎧っていたとしても自分の求めるものを信じていく気概というか、こう言うと理解されないかもしれませんが、『素直さ』とか『人間愛』みたいなものを失っていない。

 わたしが感じている小田桐の強さとやさしさというのはそういうものなんだと思います。普通に見たら彼はやさしくなんかないものな(という普通の見方にもようやく最近気付いたのですが)。どうやら彼のような人間を優しい、居心地がいい、どこまでも優しく返してあげたい、と思うわたしは少数派らしいですね。
 彼は厳しくて嫌味で批判的で空気読みませんが、それは誠実さなんだとわたしは思います。彼の、自分の価値と世界のすべてに誠実なところが、わたしは好きです。タイプは違えど同じような不自由に苦しみ何かを捨てて開き直り、同じように怖くて寂しかった彼。わたしが何かしてあげることは当然できませんが、彼と孤独を同じくしたことを思えば生きていけるということも多々あると思います。
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2009/03/13(Fri) 03:43:46
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竜の子
貶められて悪魔の子
もしくは魔法のような権力


 武器に関しては完全にわたしだけが異常に楽しい例のP3二次創作ゲーネタ。そえじーの描く絵(特にコミュキャラ)には爬虫類顔が多いが、顔的な意味ではなく小田桐は爬虫類。トカゲの尻尾切りってやつさ的な意味もありけり。コレは蛇だが。(正直トカゲではなくヘビなのはわたしの好みだ)
 P3二次創作ゲーネタのキャラ固有ペルソナ(一次)の共通コンセプトは『実際に存在した伝説的人物』にしています。ジャンヌ、とか、トキサダ、とか、アマデウス、とかそんなん。お察しの通りヴラド・ツェペシュ=ドラキュラですそう呼んだ方がいいでしょう。
 ち、違う。コレを最初に言い出したのはおそらくわたしじゃない。記憶が確かならヘイサーしてしまった小田主サイトさんが言ってた、たぶんコレだった。そして、そのときはへぇ~としか思ってなかったんだが、考えてみればちゃんと小田桐だった。

 そもそもドラキュラって『ドラゴンの子』じゃないっすか。ドラゴンってでっかいトカゲじゃないっすか。まあそんな言葉尻の話は置いておくとしても、序文にした『竜の子 貶められて悪魔の子』っていうのは、ドラキュラが『悪魔の子』の意味でも使われるからなんです。
 竜が悪魔に転じたのは、それが蛇、サタンの眷属だからです。背景的な話をすると、つまり土着の大地パワー的信仰がキリスト教に逐われたということです。イシュタル女神がアスタロス悪魔大公になったのと同じですね。
 さらに悪のヘビやドラゴンは母権やテリブル・マザーの象徴として物語に描かれるものです。大蛇退治の英雄のお話っていうのは息子を抱きこんで成長を止めてしまおうとするお母さんから果敢に卒業していく息子さんの魂を表しているわけですな。
 さて、話がつながりました。
 小田桐の影であり(それを映した主人公くんであり)、辿り着く成長であるものには、前にも言いましたとおり大地母神マザー方面の色があります。というかそれに相反する『皇帝』としてそれと融和できたわけです。だから皇帝コミュが成就しない小田桐が否定している影はそのヘビなのです。
 ヘビを逐っている権力は小田桐自身です。自分を竜の子ではなく悪魔の子と名している価値観は小田桐自身のものです。お父さんのことを、うそつきであると尻尾切られた弱者としてではなく、真に正しかった強い人だと見られるようになったときに、自分をも肯定する。

 オマケですが二次ペルも妄想しておくとしたらですが、地域は統一するようにしてるのでスラブ系で探したところ、おあつらえ向きの竜の神様がいましたよ。黒竜神ジルニトラ。魔法神としての特性から、なんでか「魔法にかかったように権限を与えられる」っつう意味を有しているそうです。どんだけ。
 ジルニトラさんになったら頭は金冠の竜頭になります。あと服飾デザインは黒いながらももっと晴れがましい軍装になります。

 デザイン一般については、ヘビ頭はあれ仮面扱いですよ一応。ペルソナデザインは変な仮面つけて黒肌が基礎だからね。
 全体的にガリッとしていて、見えない足元はスッゲー串刺しっぽくなってます。イーグルトゥフラッシュって感じです。これでイノセントタックとかすればいい。
 ほんとは「吸血鬼には鉄の武器は効かんぜよ銀しか効かんぜよ(=小田桐には実際的な理屈や力は効かないよ感情しか効かないよ)」ということから武器メッチャぶっ刺さってるデザインにしようかなとも思いましたが、他の人のペルソナでも剣刺さったり血のドレスだったりと何かと痛々しいので自重しました。
 スキルタイプはタルンダ先輩(打撃)をタルカジャ先輩(貫通)にした感じです。育てばマハタルカジャ最強伝説。
 ちなみにこの絵では趣味で短鞭を持たせたはいいけど二次創作ゲーネタでは別に武器とかそんな中二くさいもの持たせなくていいんじゃね?と思っている。トリニティソウル的な感じでいいじゃない!ぶっちゃけ武器の数値処理などそんな面倒くさいことは実現できないのだ。成長だけでなんとかしてください。


 コレ描いてたらカレー作るの忘れていてさっきやっとできた。明日には一晩おいたことになっているのだろうか。
2009/03/11(Wed) 16:19:31
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「遊んでないでタオルを返してくれ」

【(トリミングVer.ですが)この絵を描くに至った経緯】
久し振りに永田(ビタミンの三浦さん)のキャラソンを聞いてみたら不思議な衝撃を受けた

いろんな衝撃以上に曲の色的にミッチーの『求めすぎてる?僕』がよぎった

ちょ、小田桐でその曲名、自重、おれの邪念オーバードライブ(曲名)自重

ということで便乗して小田桐のやや色っぺー絵描こうぜ

せっかくだから自作ゲームで限界を感じている手の練習もしようぜ

今ここ


 永田のキャラソン、というかビタミンにおける永田の扱いは謎に溢れていて困る。小田桐の身長や公式が病気ぶりのように意図不明に部分的に情熱的なことで笑いを求めているのでしょうか。それならOKです。
(わたしは三浦さんをちょいメタギャグ美声キャラ担当として好きです)
(そういう意味では氷河も小田桐も跨も同カテゴリです)
 キャラソン中でめっちゃ「二度と離しません」とか「あなたが欲しい」とかその他いろいろな愛の言葉を力強く(結局三浦さんの持ち味は突き詰めると力強さだと思う)吐いていますが、永田はそんなにも睦言を期待されているキャラなのですか?サブキャラじゃないの?ディアマイサンで言うところのなんだ、ミロ的な存在じゃないの?(メガネ攻略キャラの付き人という観点で選んだ)ミロは間違っても攻略できないよ?キャラソンも別にいらないと思うよ?そこは顔?顔なの?チッ……、この面喰いどもがッ……。
 まあビタミンをやる予定がないのでそこんとこはどうでもいいです。問題は三浦さんの声と演技だけです。このキャラソンの三浦さんはあまりにも諏訪部だ。俺様の驕りを消した真摯な諏訪部だ。(それはもう諏訪部ではない)三浦さんは読み方の抑揚特徴はいつも同じなのにほんとに声の印象の幅が広いなぁ。
 わたしはもちろん小田桐してる三浦さんが一番好きですが、歌なら城錠ですね。歌自体も、キャラと歌に合わせたときの三浦さんの声の様子も好きです。三浦さんキャラの中で三浦さんのよさを一番発揮できてるのではないかという意味で好きなのはいまだに跨ですが。
 そしてカヌチはどうなるんでしょうか?白き翼の章の状態だと残念ながらあれはナシなんだよな……。あんなに細部のデキはいいのにぜんぜんオススメできない。三浦さんの出てる作品にはほんとがんばってほしかったんですけどねー。あれは声優さんの演技でどうにかできる問題じゃないし、声優さんの仕事はメチャクチャよかったんで。



 ……最近観月に関して述べたいことがモサモサあるのですが、少し前からこんなところで述べても仕方あるまい、これはわたしと奴の問題であるな、という境地になってきています。
 観月のもろもろを表出できないでいるのは観月のことを思ってないからではなく(もちろん確実に量は減ってますが)、なんというか、触れてよいものか、触れられない、という感覚があるからです。
 普通に、今のわたし(野守)が奴に触れることは今更であろうとか、いや、時期の問題ではなくて、なんか違うよね、ってなる。本心から触れたいと思うエネルギーがなくて、それなら全く触れてはいけないのだと思って、手を伸ばしても触れないしそもそも手が動かない。
 でも観月に飽きた(この言葉を使うのは不思議だ)わけでは全然なく、まだ彼のことはどこかわたしそのものだと思っている。今でも降霊術しようと思えばできる。降霊して、それで観月も手が動かない。

 こんなところで述べても仕方あるまいと言ったにもかかわらずこんなにベラベラしてしまいました。
 しかし本当に考えていることはこんな表面的なことじゃなくて、端的に言うとオタクにとっては萌えが黒い羽だということについて考えています。これは恋の問題で、そして人生に関る問題で、そして心配されるようなマイノリティ問題だと思うので、あまり言わないほうがいいのだと思ってます。ここまで書いたら言ったも同然かな。
2009/02/26(Thu) 18:49:05
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 2009年だっぜー!(知ってる) というわけでペルソナ3がはじまる前の補完絵でも描こうぜ!ていう企画を立ち上げました。


 時期を逸してはならぬ、と常々思っているのを、やっと行動に移すことができました。
http://www.pixiv.net/
 このピクシブっつうのをやってるのですが、ここ、イラストをみんなで見合おうぜという交流サイトです。ただ見て描いて上げて交流して、というだけでなく、さまざまな企画を参加者自身が編み出し、人が集まったり集まらなかったり、それに即した絵がものすごい描かれたり描かれなかったりする、という性質も持っています。その企画主にはじめて名乗りを上げてみました。
 見たらわかるけどペルソナです。ペルソナ3のリアル年を祝い、よりリアルに妄想しようではないか、諸君らもいっしょにどうだね、というものです。
 前の日記で「今年はペルソナ3で誰かなんかやるよね」と言いましたが、誰かがやるの待ってても特に得があるわけでもなし、逆に自分でやっても何か失うものがあるでなし(イベントとかは開けませんが)、そしてこの「ゲーム前補完」という企画はこの時期(具体的には正月10日まで)を逸してはできまい、と思ったので、思い切ってみました。わたしにしては完成度の高い絵っしょ?(うまいへたというよりも完成度が上げられない)

 やっぱり休眠打破するためにはズバリとした行動を起こしてみないとアカンですよね。最近自分に起こることが休眠打破に向かっている予感がムクムクします。


 Frayja*生誕祭ですが、きょうで受付期間はおしまいです。停滞のおかげで順調にお客様が減っていっているのがわかるのですがその分誠心誠意お答えしたいと思っております。とりあえず今週は早くも本命の面接があるんでまだ停滞してるかもしれませんが。すみません。
2009/01/10(Sat) 03:30:50
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「ご大層なンでやんの」
「そういうものだ」

 コミュに投下したついでにピクシブにもこれと小田桐関係を3枚うpしたんだけど意外とイケてびっくりだよ!こりゃ主小田主いけますかね。ゆくゆくはマイナーカップリングでもエロれますかね。ちなみに、小田桐と主人公くんのカップリング色の感じられるものはピクシブの中で(わたしのを除いて)3枚ほど看守されています。これは……いける……。


 鴎外の「雁」をさえたんのレポ手伝いで読んでいます。
 かなりウテナ的というかユング的というか「眠れる森の姫にさよならのキスを」的な文脈があって、女をカワイイけどウザい弱者とみなしていた鴎外としてはスゲー話ですよ。上記のように寓話性質の強い読み解きの楽しい文学なので、おすすめですよ。読む前にウテナを読んで考察するとなおいいんですけど。

 作中の「成長しようとする心」であり「女性的なもの」として描かれているお玉ちゃんは、構造的にわたしの長編のハルに重なります。小田桐は末造と岡田両方だなー、ウテナで言うところの暁生とウテナ両方であったように。長編時点では岡田にかなり近いけど。
 ハルはゲーム本編中「自分は小田桐の味方」と接して(というかそう接せざるを得なくなって)小田桐の父性的すぎる庇護下に入ることで「分別」(大人の、という意味でも、切断、という意味でも)に目覚める。高利貸し末造に囲われたお玉が自我の芽生えをみたように。そして友誼に基づいた純粋な善意からときにスポイルするほど守ってくれる小田桐にいたずらに影を肥え太らせる。岡田に接し、自分の心を象徴する鳥を逃がしてくれるかもしれなかった蛇を退治してもらった(あまつさえ鳥籠の修理までしてもらった)お玉がチョーシん乗ってきたように。
 でもうちの個性化物語と雁との違いは、雁だと岡田が洋行して舞台から消え去っちまう(それよって物語が終わる)ってことなのです。
 影が太るのも、成長です。チョーシん乗って一度は羽ばたきの試みが失敗するとも、それは成長のいち過程にすぎません。でも対象に消えられちゃーしょうがないっすよね。現実世界だったら実存的な相手が逃げることもまた失敗のひとつ扱いすることができますけど、文学ってェのはひとつの話に完結し、ひとつのことを象徴する登場人物がひとりだからな。それは失敗というよりもっと重い挫折、欠損であることのほうが多い。

 なんで岡田は洋行で完全に逃げを打って、小田桐はそうしなかったのかって考えると、それは「小田桐とハルの交流は既に一度成っているから」というのがデカいのかもしれんですね。逆に言うとお玉が恋の行動をおこすまでに岡田と交流らしい交流をしてないのが原因と。
 お玉が岡田に声をかけようと表に出ることに対応するのが、あまりに友人としての自分を正しく信頼する小田桐に不条理にプッツンきたハルのぶっ壊し告白なわけです。でもその後小田桐は無意識に責められてつまり性的にもモヤっとしつつもそれを全否定せず、ハルのその不条理なまでの想いを引き出して対話しようと試みます。ハルと対話せねばならないとした小田桐の理由として「自分は彼に受け入れられたのに」というのが、完全に意識に立ち戻ってしまう前に出ます。皇帝コミュ中に「包み込むような優しさ」に変えられたことですね。
 恋なんて道理から外れたことのキワミなわけですから、交流にも前準備交流が要るってことですよ。必ずしも要らないのかもしれないけど、少なくとも道理の半身に「洋行」されちまうくらいの危険性はあって、そうなったらもう叶わないってことなんですよ。


 影を全否定して捨てることは逆に影の暴走を招く、っていうP4での基本常識はきわめて汎用的な心理学です。
 最後にウテナの話になっちまいますが、黒薔薇編の樹璃さん回「死の棘」の中で、樹璃さんが枝織の写真の入ったペンダントを思い切って湖に投げ捨てた、その次の瞬間に意識の気高さをあらわす薔薇が黒く染まって摘まれる(=無意識・影であるキャラが台頭する準備が整う)カットが入るというシーンがあります。そしてそのペンダントは枝織の部屋の花瓶の水の中から発見され、枝織はそのペンダントを開けて中から流れ落ちてくる水に腕を濡らし狂乱する……。その後はもちろん黒薔薇編お約束のレイプシーン(違う)ですよ。
 これは、樹璃さんが自分の恋心(枝織においては女らしさとして発現する)という影をブチ捨てようとしたが故に影に蹂躙された、ということっすよ。

 余談になりますが、上の話、芸が細かいことに捨てる場所が「湖」、発見されるのが「花瓶の水の中」ときたもんだ。水は無意識の領域を意味します。そして花瓶っつったら、女性器の暗喩ですからね。
 樹璃さんは恋心に溺れたくなくて、そして枝織を愛するがゆえに枝織のような女の子らしい女の子の対極にいようとして、男性的になっています。でも素の樹璃さんのデキが女性的であることは何かにつけて表現されている。
 つまりペンダントを開けて笑い狂う枝織の腕を水が這いしたたるあのシーンは頭痛いほどエロい。これが樹璃の心、本当の樹璃!こんなに、あたしの写真を入れたペンダントからだらだらだらだら、あふれて止まらなくて!可哀想に!可哀想な樹璃さん!とかいう感じでしょうか。うわぁあぁエロいよーー!これはヨゴレ担当としては主小田主でやらざるを得ないな!
 ペンダントが壊れて気高さを自ら手折った樹璃さんは前に進めたんでしょうか。
2008/12/22(Mon) 11:31:55
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