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2024/07/05(Fri) 17:18:38
 お久しぶりっす、生きてます。実家から戻ったら更新します。マリモです。
 突然ですがペルソナ3がポータブルリメイクするようですね。

 というわけでさっそくファミ通を買ってきたんだ……(冷静を装ってすごい執着心である)

 以下折り畳みで記事に関しての見解でも。長いよ!
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2009/08/21(Fri) 20:08:54
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 P3タグだけど三浦さんの話です。 声優界雀王決定戦vol.2が出るよ!
 もはや小田桐の絵を貼った記事で三浦さんを語るのも違和感を感じるほどに三浦さん本人が好きすぎるマリモ、今までさんざん面倒臭がってやらなかった麻雀の勉強をしてフラッシュ麻雀を5時間、という意味のわからない成長をしました。麻雀ってなんで見てるだけじゃ全く勉強になんねーんだよ!一体どうやって覚え始めるんだこんなん!学校で教えろ!!
 というわけで戦略に関する用語などはなにそれおいしいの(普通に語感としておいしそうだし)?状態ではありますが、流れとルールだけでもわかってきたところで雀王決定戦の観戦を再開すると、おおお、とりあえず、何がわかんないのかがわかる。これすごい進歩。
(※勉強以前は三浦さんの手と思案顔を見るためと開き直っていました)

 本当に何度も言っていますが三次元で一番カッコいいと思うのは三浦さんです。人に説明しづらー!!声質も演技の質も演技を通して見えるご本人の色みたいなものもすごく好きで、なんというか信頼を寄せています。たぶんそれはいろんなところが自分ライク(外から見て似てはいないけど)だからだと思いますが。手の動きとか見ててすごくいいなと思ったのはよく考えたら自分に似ているからでした。日舞!日舞!
 このネタにしにくい(地味という意味でもガチという意味でも)カッコよさがいい。 あんげんさんと仲いいらしいですが、こう、すごいいい人でおもしろくなくてごめんとか言ってしまう(三浦さんはそんな言ってない)ところが……うん……。
 STEAL!をやったら今の恋忌避状態もちょっと治る気がします。
(もしCV三浦さんという情報がわたしの勘違いか何かだったらおだぎりいいぃぃい!!!)←現実逃避の呪文
2009/07/31(Fri) 22:04:35
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 苦行僧


 (前略)それにしても我ながら小田桐が好きすぎて正直キモいです。(定形文)
 ものすごい鬱から小田桐(と何か)へのジェラシーだけですっくと立ち直った実績があるわけで、一体これがどういうエネルギーなのか知りたいです。どこ行ってもオダヒラオダやおだちひやおだみつやぶっちゃけ小田主や小田桐単体にすら(負の方向に)胸を締め付けられているので、いよいよコレは解明せんばなと思います。この日本海まで走り出て腰まで海水に浸かりながら叫びたいような苦しみを100回ぐらい味わったらきっと何かわかるような気がする!(ドMすぎる)
 正直コレが嫉妬なのかよくわかりません。たぶんわたしはヤンデレなんだと思います。(ジェラシー→即グレートマザー発動→精神の出刃包丁)だからふつうの嫉妬と何かちがうんだと思います。 でもそんなテリブルマザーをわたしはよしとしないことにしたので、ヤンデレの更生としてとりあえずわかりあえない他人との苦しいコミュニケーションをガンガンふっかけるために、ジェラシーにくじけずおだちひ地獄。
 ドラマCDなどで千尋が主人公くんのことガンガン好きなふうに描いてあるのはある意味おだちひへの牽制しつつ小田→主成立 なんだなと思いました。ウメェ。モテウメェ。(そこまでの意図じゃないよきっと!!)

 なんなんでしょうねーコレ、わたしは基本的に好きな人とも友達になれたらいいやーと思うのに。たとえば小田桐と似た感じで好きな月森ですけど、あいつはほんと友達だと思ってて、あいつに彼女できたら超応援するし、むしろ相談しやがれ、わーいわーい、ぐらいの気でいるんですよ。
 ぶっちゃけた話それは観月でもいえるというのに、だからよくわからないんですけど。もしかしてわたし小田桐のことそんな好きなのかな……(非常に今更な響き)。いや、そりゃ度合いとしては相当好きなんですけど、そうじゃなくて観月より好きとかそういうことなの!?もっと言うと観月は実は友情で小田桐にこそ恋してんの!?びびるわ!世界観ぶっこわれだっつーの!
 まあ問題は比較級じゃないので観月のことはいいような気がしますが、小田桐はほんと……もう……意味わからん。

 もし小田桐が乙女ゲーのキャラだったり(無理すぎる)したら事情はまた違ったんだと思います。ただBLゲーのキャラ(ギリギリ)でなくてよかったと思います。BLゲーはCP傍観型だからな!
 もし乙女ゲーのキャラだったり(2回言うな)してその上で、たぶんその状況ではないことだろうとも思うけど、その上で今と同じような気持ちだったとしたら、もうほんと観月とかなんとか言ってる場合じゃなくなってたと思います。でもその場合本気で二次元の国の住人になるかもしれないので葛藤の多い今のままでいいです。葛藤することこそ生きてるってことだよねと最近やっと実感的に思えます。気持ちのいい空間で思考停止できないのは常にストレスだったとしても、ぶつかり合っていくこと以外にきっといきいきとした楽しみはないんだ。
 たまには二次元や虚構全般に安らぎ以外のものを求めている人間がいても許されるかなと思います。
2009/07/29(Wed) 00:11:00
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 ずっとそばにいる



 実はやったことのなかった要素を二つ入れました。こんだけ主小田主を描き続けているというのに描いてないものだらけだ……。
 (ミクシでは)あんだけウダウダ言いましたがよく考えてみたら小田桐に向かうのに自分の移入対象が女でもそんなに恐ろしいことにはならないのでした。わたしが小田桐夢嫌いなのはP3においては完全に主人公くん=自分になっているからだったのであって、性別が問題では(あまり)なかったらしい。
 なので非P3主くんの男主人公夢はナシ、P3主くんの関係性の女主人公はアリ。そうそう、小田桐は、主人公くんという(あれだけの)関係性があるのに、他のもので救おうとしなくていいというか、なんかちがう気がして。ジェラシィット!!
 という理由なので、「小田桐夢はダメ」と言いましたが、もしそれが「主人公くんが行ってしまったあと」のお話であるのなら場合によってはアリだと思います。痛そうで好ましい。もしかしたらわたしが書いているものは主人公くんらしきものがいるだけで実は「主人公くんが行ってしまったあと」の小田桐と自分のことを書いているのかもしれませんな。
 贔屓目を抜いたとしても常識的に小田桐は主人公くんのことが好きすぎると思う。
 あとわたしも小田桐のこと好きすぎると思う。(知ってるよ!)


 話は変わりますが、わたしが小田桐に言いたいことは、ずっとそばにいる、ということなのかな、と、ズキズキします。
 たとえ離れたり、ふいにもう会えなくなったりしてしまったとしても、声や姿を忘れても、ずっと、そばにいるのだと思ってほしい。わたしは不思議と、小田桐に「行ってしまった主人公くん」に縛られてほしくないと強く思ってます。P3以前はこんなこと考えたことがなかったので、P3が「死の疑似体験」だということは成功しているのだと思いますが、死んだ人間にとらわれていることは、かえってぜんぜん死者と近くない、と感じるのです。
 感覚的な問題として、そばにいるのだから、安心していいよ、と思う。それは生者がしあわせでないと死者もうかばれぬ、という意味ではなくて、自分達が築いた絆のことを忘れられてしまったようで悲しいし悔しいのです。自分の細けーこととか自分と送るはずだった時間のことはぶっちゃけ忘れてもいいから、自分といて気持ちを交流して幸せになれたことを限りなく憶えていてほしい。そこ以外に、わたしはいない。生きていても死んでいても。
 自分が死んだらみなさんにウエーンとなってもらうのは嬉しいですが、それはどっちかと言うと自己顕示欲とか「自分はこれだけの人間に正の価値を持っていたのだぞどうだまいったか」的な、自慢のターンにすぎないです。わたしは自慢大好きなのでこれは別におkですが、本当に絆と感じられるものって、価値の重い軽いの問題じゃないよね。
 だから絆を交わしたと思える人には、ひとしきりウエーンとなったらあとはもうシャンとしてもらいたいな。そうじゃなきゃ価値だけで愛されていたみたい。まあ価値、というものの中には、生きてるだけで価値、あなたというだけで価値、とかそういうものも含まれますが、絆というのは「わたし」そのものの価値ではなく、「あなたとわたし」が出会ったときに得られた充足、ひとりではないと「わかった」、その「記憶」ですから。
 「わたし」や「関係」はいつか変わったり消えたりしますが、深い「記憶」は外的要因でそうそう消えたりしない。消化されて、ずっと、その先に鼓動していく。それを忘れないで。それがわたしの残したいものであって、生きてて残せる唯一の「自分のもの」なんだと思ってます。


 未来まで寂しがったりしないで
 わたしがずっとそこにいるみたいに生きて
 忘れないで
 わたしがあなたの血肉だということ
2009/07/21(Tue) 03:40:03
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 夢から覚めてもあなたの美しさは枯れない


 (前略)それにしてもあまりに小田桐が好きすぎてキモいのでミクシうpしたときはなんの絵ともわからぬあたりで思い切りトリミングしました。
 いやー、話せば長いことながら、要するにちょっと前に「もう恋など無理……信じられん……無理……生きられん……」と人生全体に対して最高級の絶望をしていたわけなんですけどね。氏☆に☆た☆い☆と思ったことはあれど、それは絶望じゃなくて逆にのぞみのようなもの(もうしわけなさ、はずかしさ、積極的ないやさ、にくしみ、くやしさ)があるからそうなるのだと思ってます。
 思い返してみても虚無虚無していて、別に悲しくもないし苦しくもないし、でも生きている理由が思い起こせない、自分が何者なのか感じられない、でもだからといってマイナスな大事もない、という状態でした。歌もまともに歌えないし。やっぱり歌は魂で歌うものなんだ……と初めて実感しました。

 だったのですが、よそさまの小田桐読んでいつもの通りジェラシったら嘘のように生気が湧いてきました。マジ心配とか要らねぇー!!マリモが落ち込んでるときはほっとけばまるでおkーーー!!!
 いや、小田桐のことを失念していたわけじゃないんですよ、よそさまのを読むまでは小田桐にもまるで不感になっていたんですが、やっぱり他人のパワーというのはすごいなぁと思います。よそさまの小田主にジェラシり、くっそーうちの小田主はな、というかぶっちゃけわたしが小田桐をどう好きかということはだな、こうでこうでこうだ、あっれー絶望してたはずなのに絵まで描けてたー!?
 わたしが移入できずにジェラシる小田主はどういうのかというとたぶん「完結してる感じ」なんだと思います。わたしの中での主人公くんと小田桐のイメージは相性はよくても誤配まんまんというか、うん、要するにわたしはみっともない方面の人間なのでみなさんのカッコよさがまぶしくてハンケチ噛むぜ!
 かくして人生稀に見る大絶望から半日でホイホイ立ち直りかけているわけです。いやーよかったよかった。いやホント、ジェラシーから思い出したこととはいえ、そもそもわたしが小田桐に恋することができないにしろ、小田桐が美しいこと、彼を美しいと感じるわたしの感性は別に信じたって全然かまわないものな!

 さまざまな事情で、自分が自分の思う恋をするという幸せは、自分の気持ちだけではどうにも叶わないこともあるんではないかと思う。でも、自分が美しいと思うものを尊び愛することの幸せは、この気持ちひとつあれば叶う。少なくとも美しいと思うそのものを知ってさえいるのなら。わたしはそのあたり幸運だから、幸せ。たとえ一生恋ができないとしても、それはそれでアリだと初めて思えたくらいには。

 あと他人パワーといえば「もう、ひとりではあきらめることができな」かった観月はじめさんへのもろもろの思い恨みつらみですが、その第三者からのツッコミが思いがけず読んだ本の中にありましたので、もはやあきらめることは可能となりました。不可能から可能になっただけなので実行するかどうかはわかりませんが。
 観月が処分不可だったのは彼がわたしにとっての「永遠」の砦だからなので、もし観月に見切りをつけるとしたら、それにともなっていろんなものが処分できますし。あ、べつに観月で書いてるものを放棄する気はなくてチョイチョイ書いてますよ。昔好きで簡単に次々乗り換えた作品やキャラでもずっと好きで書いたりもしますからね。
 ……そう言うと、わたしがどれだけ観月をキモく重要視しているかもわかるというもの。夢から覚めても、観月からは覚められない。なぜならそれはもう夢ではないからだ。
2009/07/20(Mon) 02:13:30
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