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2024/10/06(Sun) 16:29:13

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 魂のコミューン


 ピクシブ既出絵。ちなみにコレ元サイズで元拡張子だとちゃんとキレイに発色するんだぜ……。タイトルはペルソナ3C(コミュニティ)と読みます。そんなものは出ません。十分コミュニティでした原作からして。
 この絵は要するにコミュキャラでペルソナ4みたいなことしたらきっと楽しいんだぜ、おまえの影をかかないか、ということです。もれなくみんなシャドウ目です。であるにもかかわらず自然すぎる小田桐。シャドウのほうがイキイキしてるってホントだよ!
 セルの色は基本的にそれぞれのアルカナの仮面の色に準拠します。偶然に小田桐を紫のところに描いていたのでちょうどいいと思って(千尋の正義の仮面は白ですが正義といえばオレンジだろ?)。ただベベは13番以降なのでシャドウ存在せず余ったとこに配置した。全く死神以降のコミュキャラはやや冷遇されているよな!

 コミュキャラもペルソナ4も大好きだからこそやるので、キャラの影の解釈はこまやかにやりたいと思ってます。だからこんなハンパなところから描きはじめているのです。千尋から描きました。千尋の影はアレだよ、不純異性交遊氏ね、とか、俺の正義を力でブッ込んでしまいたい、という分別のなさです。ところでベベのコミュってどういう話だっけ?留学生ということ以外で何がどう節制なんだっけ?
 小田桐は上述のとおりいつもの悪役顔をイキイキさせたかのようになってますが、別にいつもをパワーアップさせたわけじゃないです。小田桐の影は「搦め手から支配しちまえばいいじゃない、それが力!」だと思います。
 今更ながら体育教師との関係(言い方自重)は象徴的だったのですねー。あれは小田桐の「道理を守る力は人のつながり」という結論をメッチャ悪いほうに見た場合なわけです。それが「搦め手から(以下略)」というシャドウ。自分の納得のいく「俺の正義」世界を作るため(正確には自分を打ちのめした世界を否定するため)の力を得るためには少々ヒキョいようなこともする、その過程で俺の正義がぬるい手垢で汚されることもあろう、だがそれが世界というもの(なんという暁生)、というのが逆位置っていたときの小田桐です。
 小田桐の無意識が叫び、そしてわたしが嬉しく受け取ったメッセージは、ひとりで生きられない、ということです。ひとりで生きられない。ひとりは怖いから、自分の世界のもとに庇護し支配したい。誰かにそばにいてほしい。自分の心や力は間違っていないのだと認めて受け入れて、共犯者にでもいい、なってほしい。
 そういうことにシャドウ的過激化を加えると「ひとりでがんばるとか寂しいし無駄じゃん」とか「支配したすべてを僕のものとして規定して虐げたい」とか「あの体育教師もっと誘惑する方向で行こう(ちょ)」とかになるわけです。そりゃ小田桐は半狂乱で否定するわな!あれ……小田桐ってP4だったらペルソナ使えんじゃね……?

 小田桐コミュを考えているとつくづく思うのですが、小田桐はさりげなくP3のことの本質にけっこう近いやっているんですよね。
 これは今気付いたことですが、P4の皇帝コミュと対比して印象的だった部分である「小田桐は主人公と向き合って(対話して)成長してる」ってことは実はP4との対比とかじゃなく小田桐の特徴なんじゃないかな。P3のコミュもやっぱり「そばにいて成長を見守る」タイプのものが多い気がするんですよ、友近とか。
 共通して大事なことは「見守っててくれる、話聞いてくれる人がいるからがんばれる」ってことなんです。それは小田桐にしたって同じなのですが、彼の場合「主人公くんに」「話をする」ことが中心的な成長要因になってる。
 他の人には大前提としてある「いっしょにいる」ということが、小田桐においては前提である以上にテーマなのです。そしてなんでそれを小田桐には「対話」なんて言うかっていうと、P3主人公くんがストーリーのデフォルトとして持っている受容性と無意識的な性質は、まさしく皇帝とこそ交流すべきものだからです。こっちが何も言葉を発しなくても皇帝とは対話が成立するような性質だからです。
 小田桐に個人的イベント(日曜デート、おさんぽ)がマジ全くなかったのは、そのへんもう十分、というような意味もあるんじゃないかとも思います。

 まあこのへんは、いくらかのひいき目というかわたしが小田桐を特別に掘り下げているゆえのリンクとかもあるのでしょうが、逆に父性的テーマを持ったP4の主人公さんとマーガレットさんの女帝コミュもまた「対話」の色を強く帯び、非常に特別だったと思うのですよ。
 そもそも人間関係において皇帝と女帝のアルカナってのはすごく重要な関りを持ってて、今更ながら小田桐がアルカナ4であることに感謝感謝ですね。扱いが妙とか気になりません。ペルソナ4のバトルメンバー総コミュ化は素晴らしい待ってましたなシステムですが、ペルソナ3でそれをやられていたら小田桐は存在しなかったので、ア○ラス様にお礼を申し上げるしかありません。

 ありがとうございますごめんなさいアト○ス、ゲームとしては絶対にバトルメンバーは一部コミュ化よりオールオアナッシング(そしてどちらかといえばオール)のほうがいいのに、そうならなかったことを感謝してごめんなさい、わたしは悪いゲームファンだー!本当はゲーム全体の出来が至上目標で、キャラ萌えはスペックのひとつでしかないはずなのに、一人のキャラに執着してシステムの微妙さを見ないふりだなんて!
 でも真田コミュをやらないで小田桐を生み出してくれてありがとうございます、彼のことを一生愛し尊敬することを誓います。(結婚すんな)


 まじめにこういう同人ゲームを作ってしまいそうなのですが、その場合多分メンバーもこんな感じになるのだと思います。これプラス新キャラで。
 なぜならこの人たちはコミュMAX後も主人公と表層的にも関係を結ぶ予定でいて(逆に言うとその予定だからこそ壁を打破できて)、そしてそういう位置にいるからこそ「主人公がこの世に不在であることを知ってしまった」人たちだからです。
 そういう意味でこの人たちの主人公とのコミュはまた新たに物語を始めたのだと思います。応えてくれる相手の不在とかつてあった記憶をとどめて。
(ベベはどうなんだか微妙です。あまり内容を覚えてません。ぶっちゃけ人数あわせでした)
(じさばさ、いさ子は大人組だからナシ。解釈的にはいさ子バリバリ入るべきなんだが、そこは新キャラで補完)
 でもなぁ、もし本当に作るんだとしても需要がなぁ。そしてペルソナシリーズは戦闘エフェクトあっての燃えるゲームなんじゃないのか?カッ!トインだけじゃどうもね……。あきらめてファミコン的戦闘で我慢しますか?

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2009/02/10(Tue) 00:34:51

 Frayja*生誕祭まだまだ続いてますよ!要項は1個下の記事のとおりだけど祝いの内容は「新年のあいさつ」でもいいよ!ぜひぜひ奮ってご参加くださらないとマリモが恥をかくよ!(毎年かいていますが)


 マリモです。牛の神様に嫁入りする初夢を見ました。にもかかわらず顔合わせ前から浮気しました。今年も大荒れの予感やよし。

 昨年中はサイトの更新を10度もせで、絵日記更新ばかりでお茶を濁し続けました、謝る相手も着実に減っていっています。灰猫軒もサイトを開きはしましたがSAIがないせいで停滞状態、完成するのかしないのか。さらに創作生命をかけて書き殴っているP3長編も序章さえパッキリ完成させることもできずチョイチョイ手を加え続けているのみ。感覚的にもとかく「停滞」しているなぁ、と思うことが多かった2008年でしたが、決して悪いもんじゃありませんでした。
 むしろ停滞を打破しようとして無茶をやる楽しさに目覚めたりもして、「新しいことをむやみに恐れる」という自分の悪い性質を改善できたように思います。2008年のマイナスのキーワードが「停滞」であるとすれば、プラスのキーワードはその「むやみ」の反対、「光」だと思っています。
 今までぼんやりと感じているだけだったものに光をあててはっきりさせるということ、切り分けるということ、理解するということが、2008年に学んだことなんではないでしょうか。わかりやすくはP4ですが、1月から振り返ってみてもだんだんと「なんとなく違う」とか「なんとなく同じだと思う」という言葉から発展していくさまが見えます。さらに後期教育実習では「何が目的か」「どんな姿が予想できるか」「そのために何をするか」と光のもとに自分のやろうとしていることを恐れずにさらすことなしに成長はないのだと学び、1年のしめくくりには就職活動のための自己分析……。
 思えば2008年は1月から自分のショッキングなまでの弱さを、影を自覚させられる1年でした。向き合えているのかどうかは自分ではわかりませんが……。

 2009年は停滞を本当に打破したいですね。1年じゅう打破したい打破したいと思ってきたのに打破できなかったものを、目標に掲げたところでどうにかなるとも思えませんが、打破の手がかりは既に見えてきてもいます。光が当たって見えてきたもの、切り分け、理解された方法によって、もしくは停滞で準備されてきたものの完成ということによって、停滞が打破されていくことを信じて諦めないことです。打破された向こう側を恐れないことです。知らない世界や予想もしなかった状況には孤独があるし、孤独は恐ろしいものですが、わたしには友達がいないわけではない(と思う)のですから。
 あと今年こそ友達作りたいです。わたしには本当には友達がいないような気がするので。わたしのことを友達だと思ってくれている人はいるのですが、わたしがまともに友達できていないと思うので。自分じゃないものと付き合うって難しいねー。むりに友達なんて作らなくても社会生活は営めると思うんだけど、そうすると孤独を恐れちゃってたいしたことができないからね。

2009/01/02(Fri) 17:32:28
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 天罰!天罰!天罰!天罰!天罰!!
 実は小田桐にやらせたかったポーズでしたが構図としてちょうどいいのでMチェロ兄貴に。
 グレグ→小田桐→マルチェロ→氷川さん みたいな(ハゲの過程ではない)



 どうも、いつまでたっても100回記念更新ができない、マリモです。
 あまり気負わないでサラッとやってしまうのがいいんですかね!!まごまごしてると誕生日週間も来るし!いや、むしろ一気にやってしまうか!?ああでも、今年は誕生日には友達とネズミの海へ行くのだ。


 ほんの偶然にドラクエ8のM字ことマルチェロさんとご縁がつながったのですが、この人マジヤバくね!?!?というかなぜP3プレイヤーさんは小田桐を見て「なんというマルチェロ」て言わないのか?まあ兄貴はドラクエというデカゲーの中の、人間の中では最終ボスでさらにドラクエの歴史を揺るがせかねない発言かますビッグな人間だから、扱い的には似ても似つかないのですが。
 小田桐もどエロですが、この人はさらにヤバいところを走ってらっしゃるので、もうドラクエは一体何をしているのかと。もっと女子人気の割合のあったころにコレをやったら日本の同人界は少し違っていたかもしれない(変態という紳士という方向に)。
 簡単に説明するとマルチェロさんは女神のお教会の騎士団長で鉄の忠誠のホモ軍団(誇張)を従えている超力野心家なウホッいい男で、しかし出自がけっこう辛い庶子っているせいでメインキャラである異母弟(超美形)につらくあたるドS、といったところです。ご覧の通り、だいたい説明してもエロくない要素がない、と言ってもいい。

 庶子+野心家、それでいて人望ある厳しい指導者、拷問スペリャリスト(???)、小田桐よりあからさまな上への取り入り、そして大前提にしてきわめつけ、女神様のお教会=童貞だぜ!?(???)まあ女神も実存的な童貞を所望しているわけでもありませんよ、要はイメージ商売ということですよ。シスターとか巫女がエロいのと同じですよ。しかしというべきかだからというべきか宗教社会は生臭がつきもの、だからこそ兄貴の清廉さも際立つというもの。(そしてエロシチュも多いというもの)
 昨日わたしの男の好みについて先輩やらさえたんやらとチョイチョイ話しましたが、やはりイヤミにも気高い浮いた感じの男は素晴らしい!いろいろな要素がありますが、特に現実にも虚構すら稀有なものとして、そういった男の清廉さ、清浄さ、清冽さがどれほどエロいものか。たとえ実際エロらずとも、それがどれほど美しくベクトルを引き付けるか!
 それは聖女を崇めるモチベーションと同じことです。しかし男の清浄は聖性とはすこし違う。やわらかいものでないかわり、それはやすやすと穢されるものではないと、わたしは憧れます。
2008/12/09(Tue) 04:25:54
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 前述のとおりわたしは「小田桐秀利」との関係性は皇帝コミュ終了後、と思っているので、あまり「風紀委員の」小田桐とラブるような画は描かないのですが、小田桐はそここそが成人向け要素だよなぁ、とも思います。
 考えてもみろよ……属性的には女帝というより「女の皇帝」であったところの美鶴さんがあそこまでどエロ萌えキャラなのだ、もしP3コミュが寓意の枠を飛び越え小田桐が小田桐エリちゃんであったりなどしたら(わたしの中で「秀利」の女性名は「英利」)すっげもう、成人向け妄想萌えキャラをも通り越してP3はエロゲーになっていたでしょうよ。それほどの逸材だ小田桐は。そしてその逸材を「目が死んでるなんかやなかんじの男」という隠れ蓑にインした@ラスの仕事は神と言うほかない。


 前置きが長くなりましたが無事日録を書き終え、小田主本読んでしまいました。 内容には触れずおおむねの感想を。
 まんが+ゲスト小説2本+えろまんが という構成だったわけですが、まずね、小田桐ってやっぱかわいく描かなくても究極可愛いやつなんだなって。彼のように男というものをプレーンに突き詰めていくと泣けてくるほどかわいい、まあでもそれは必然的に、女性性の立場から見ないとわからないところではあるのですが。
 うちの小田桐と違うなーというところもものすごく感じ入って萌えるところでありまして、まずやきもちやきをほんのりとでも自覚する小田桐っていいね。そうだよな皇帝なんだからほんのりやきもちやきのロマンチストでしかるべきだよな!うちの小田桐はそういうところ、ちょっとでも行動に出してしまうとすげー自省するうえに基本的に鷹揚で独占欲のピントがずれてるので、あんまりないんですよね。逆にうちの主人公ときたら貞操観念希薄のようでいて絵に描いたような、それで一本エロ書けそうな嫉妬行為をするのですが……。
 あと主人公のこと好きな小田桐っていいですね。そう言うとうちのは好きじゃないんか、って感じですが、そうではなく、うちの小田桐はいくら主人公くんがスキスキ言ってるのを認めても自分が思ってることは断固として認めず友達を貫こうとするので、こちら(という言い方もいかがなものか)のこと好きっぽい小田桐はすげー新鮮でしたね。特にゲスト小説一本目のほうの小田桐、気付いて求められても避けて言わないとか、好きだと言われても気持ちは聞こえないふりでいつか元に戻れると目をそらすとか、どんだけカッコいいんだ馬鹿ー!
 たとえその甘い気持ちがバレッバレであろうとも、頑なに口を閉ざし認めることを許さない誇り高さというのは、ときに救いでさえある、と思います。そういう意味でうちの小田桐と共通する萌えでもあったのですが、ただそういう誇りを保つにしても、その想いもこっちの想いも忘れてほしくないですよね。認めろコラァ!とまではやらなくても、忘れさせないようにスキスキ光線を出し続けるのがうちの主人公、ということになるのでしょうかね。いや、「無理して忘れるとかやめろ」と指令を出すのが小田桐だからまた違うのか。うちの小田桐は主人公くんにガチンコ友情であるがゆえにかえって変なことしちゃってる、という感じですか。

 でエロなんですが一言で言うといかにわたしのエロがしつこすぎるか判明したよね。
 わかっている、締め切りまで時間がなかったから短いという理由はわかっている、しかし時間があったとしても普通すっきり終わるものだというオーラも伝わってくる。わたしのエロはすんげぇえぇえしつこい!!「年齢制限突入~本番までで10ページは描かなくちゃかな!」「本番入ってから最低5ページは要るな!」「メインエロ以外にも匂わせる部分は要るな!」とか思っている。小説ですら吐くほどしつこいのにマンガにできるはずがないよ!
 あとこれはエロ以外でもそんな感じはあるのですが、予想外にうちの主人公くんと似た主人公くんでよかったなーと思います。この下品かわいい感じたまらん!(そしてうちの子よりほよっとしててカワイイ)構図的にわたしが最初に描いた小田主えろ絵ともろかぶりだったのもなんかガッツポーズでした。そうだよね、生徒会室で小田主ときたらまずそれだよね。
 いろいろと、「客観的に見たらそうだよなそうなるよな」ということでも、自分的には「その発想はなかった!」てなるようなこともあって、小田桐に対してはほんとにわたしは主人公くん視点に移入しててまともな目で見えてねーよな、と思われました。

 読んでみての自分の創作に対する豊富としては、やはりうちはシチュエーション的には至極健全リリカルにつきる(精神的には病気)ので、いっちょ制服エロぐらいやるべきなのかな、と。カップリング50質問でも相手への要望の項でハルが「今こそ高校の制服着たままで思う存分」とか言ってるので、ぜひ叶えましょう。(叶えましょうも何もハルの要望ってことは自分の要望みたいなもんじゃねーか)
 やっぱり良くも悪くもわたしの書くものにはBLらしさが足りんですね。BL独特のあの開き直ったネタ感を前提条件にする感じがないです。やっぱ樹璃さんのすごい縦ロールみたいな感じで、そういうネタを前提にすることで強烈な感動を生むという手法もBLの本質に近いものだと思うので、ぜひそういうスキルも使えるようになってみたいものです。でもわたしの書くものはなんであろうとすごくマジに移入したものばかりだから、創作の目的から言って不可能なことなのかもしれませんけどね……。
2008/11/08(Sat) 19:50:32
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 実は今回で初めてナルト描いたんだがうろおぼえだ。新衣装のほうが覚えやすいからいいけどね。

 実習期間とりあえず終わったんだぜ。
 なんか、副校長先生が「本校の実習は全国でも5本の指に入るんだぜ」とおっしゃるほどの先生方の熱心さに比例するキツさもきっとあっただろうに(他人事)なぜか今までで一番「終わったよっしゃぁぁああぁあ!!」ていう感慨がない、不思議な幕引きです……。昨日徹夜でがんばっても日録書けなくてやりきった感が薄いからなのかな。
 徹夜で何をやっていたかというと主に図工の細かい作業の解説をするための「でっかいバージョン」を太陽紙で作っていたのですがそれはよく考えてみたら今日の授業ではまだ行くべくもない段階だったんだぜ。あほだな!しかしやりきってそうなのだからある程度仕方ない……。
 あとみんなへのお手紙として画用紙に短文書いてその横にナルトとキュアドリームをオリジナル構図で描きましたがそれは10分ぐらいで終わったから罪はないだろう……でも先生は「こんなもんに時間かけくさって日録書きやがってください」と思ってらっしゃるやもしれず、うぐぐぐぐ……。

 わたしは子ども集団をいい子たち、と形容するのはあまり好きではないのですが、とてもかわいくて大事にしたくなる種の集まりだったなぁと思います。子どもってよく見ればみんなそうなんですけど。低学年というのはいろいろ困難もありますが、そういうところの輝きが特に実感できるところがいいとこですね。

 最終的にナルトとプリキュア描きましたが、2週目カゼひいてさすがに鬼ごっこをやり続けるのは辛くなってきた苦し紛れの「お絵かき」が後半やたらと人気で順番待ちが消化できぬまま終わる、という予想外の展開もありました。やはり低学年の子というのは遠慮というものを知らぬな!一人の子に6枚くらい描いたってのもあるぞ!「わたし最後でいい」と言った子の配慮に乾杯。マジえらい。なかなか言えない。
 ただご存知のとおりわたしの絵柄というのはよいこのみなさんに公開してザッツナイス、なものでは絶対にないわけで、絵柄の変更が求められてくるわけですよね。よく子供向けの絵描きぬいたと思うよ、最大限に目大きくしたり丸い表現を多用したよ。わたしは昔からあまりかわいい感じの絵を描く子じゃなかったので、わたしが子供の頃も描かんし好きでもないような絵柄に初挑戦したぜ……。男の子にも喜んでもらえてよかったよ。

 あと今日の給食はぶっちゃけ嫌いじゃないもののほうが圧倒的少数だったがスゲーがんばって食べきった。納豆なんてここ5年は食ってねーよ!納豆とサトイモのっぺって、一食の中にどれだけ粘りを求める気なんだよ!くちぬるぬるして飲み込めないよ!

 教育のみんな!メシ喰おうぜメシ!焼肉行こうぜ!もう明日とか行こうぜ!
 疲れを癒したいというよりみんなと会いたいそして肉喰いたい。


 というわけで、これから日録を書き総合反省の構成ぐらい考えるわけですが……。
 忘れるべくもないのが、『小田主本届いてる』という事実です。
 この二週間、うまいクレープとともに、わたしを何度となく死の淵(誇張)から引きずり上げた救世主。しかしなんというか、こんなに普通な心持ちなのにサラッと読んでいいものか?もっと絶望のどん底をケアせんば、とかそういう、ここぞというときにこそ読むべきなのではないか?(わたしは性欲に救済を求めすぎです)
 要するに残りの仕事をしながらも小田主本をいまだにもったいぶってるということだ!もうまるまる2週間オアズケったのにわたしはとんだMだぜ!
 だってマイナーカップリングの年齢制限本はデスノートだから。
 まあウダウダ言いながら、あらかた片付いたら十中八九開封すると思います。
2008/11/07(Fri) 23:11:35
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